memory

石切場(14)

祖父は からだの 弱い 母のために、屋根裏に 遊び場を 作った。 床には 板を 張り、梁に じょうぶな 綱を かけて ブランコを こしらえた。 自分だけの 遊び場なので、母は そこで こっそり カイコを 飼い始めた。 ある日の 晩、屋根裏から カサカサと 音がす…

石切場(13)

母が 小さいころ、祖母に むかって 聞かせた つくり話が 二つ あった。 「ママちゃん (祖母のことを こう 呼んでいたらしい)、あのね、ハムは どうして 作るのか 知ってる?」 「さあ ... 」 「ブタさんの シッポを ひっぱってね、オシリを 包丁で 輪切りにす…

石切場(12)

副業として経営していた料理旅館のほうも - それなりにだが - うまくいった。 港の近くに生簀を借り、祖父が漁船と話をつけて漁で魚が捕れたら適当に放りこんでもらう。一応は仕入値を取り決めているが、魚が何匹いても断らなかったらしい。ときには生きがよ…

石切場(11)

母がこどもの頃の旅、といえば琴平まいりだろうか。 祖父のしりあいで - 文字どおり - 石船で生活している夫婦がいた。陸には住まず、食糧等の買いだしのときだけ船を港にまわす。 祖父がたのむと、幾日間か他の仕事を断り、琴平まで船を仕立ててくれた。甲…

石切場(10)

以前、あるテレビ放送で島が紹介されたことがあった。そのとき石切唄というのが、古くから伝えられているというナレーションつきで、地のひとたちによってうたわれた。 母は石切場の娘だが、そんなうたは聞いたことがなかった。こういうことはよくある。近く…

石切場(9)

母のまわりの小さな世界にもいろいろな人がいた。 親戚筋には若くして精神を病んだものもいる。まわりからは神経さんと呼ばれていた。 しかしまともな人間のほうが恐ろしいものだ。親戚うちには小さな兄弟たちにあらぬことを吹聴して祖母との仲を裂こうとす…

石切場(8)

母が生まれたのは日中戦争が始まった頃だ。そしてこの時期以降、中国東北部から大豆が大量に輸入されるようなった。どんな町にも豆腐屋ができ、豆腐は誰もが口にできるものになった。 友だちに豆腐屋の娘がいたので、母は毎日のようにそこに出かけた。店の裏…

石切場(7)

祖母は結婚する前から習練としてだが、踊りを身につけていた。一方、祖父は若いときから働きにでていたので、仕事一筋かというと、そうではなかった。 ある時は河鹿を飼っていて、その鳴き声を楽しんでいた。河鹿はけっこう繊細で餌のハエもイエバエではなく…

石切場(6)

祖母も、祖父に負けじと母を連れ出した。神戸の踊りのお師匠さんの家というのは、じつは朝日麦酒の社長宅である。そのころ母と同じ年頃の男の子がそこにいて、祖母が稽古をしている間、遊んでやるといってはよく泣かしたらしい。 母は体も弱くて小さかった。…

石切場(5)

祖父と祖母はそれぞれ違ったかたちでこども達に愛情を注いだようだ。 仕事を終えて帰ってくると、「いまから海にいくぞ」と声をかける。母は急いで水着に着替えて、二人で外にでる。家から2、3分歩けば海岸である。 「片手をおれの肩に添えておけよ」という…

石切場(4)

祖父と祖母が所帯をもったころには、少しずつだがこの島の花崗岩が石屋の世界でも認められてきた。***御影は上等ということで、たしか靖国神社の大鳥居もこの島の産に決まったはずだ。 島の外から多くの人が集まってきた。朝鮮からも移民があった。彼らだけ…

石切場(3)

祖母は結婚後も踊りの稽古を続けていた。神戸に師匠にあたる人がいて、ときには母をつれて通っていた。花柳流でもだいぶ上の人らしく兄弟弟子には歌舞伎の役者さんもいたとのことだ。 島でもときどき頼まれてこども達の稽古をつけていた。そんな時、母は後見…

石切場(2)

石切場での仕事をこどもの頃の記憶をたどって書いてみよう。 まずどのくらいの大きさで切り出すかを考え、また崩れたときの衝撃をできるかぎり少なくすることも計算する。 そして見当がついたらそこに穴を穿ってマイトを仕込む。逃げる時間を見計らって導火…

石切場(1)

これから書くことは母親の記憶を通した小さな想い出である。 ぼくの生まれたのは、瀬戸内のちょうどまん中あたりの島だ。 かつて宮本常一が書いていたが、このあたりは島の大きさと比べてなぜか人口が多い。ときどきどうして暮らしをたててたのか疑問に思う…

「粒」を読んで(2)

これもだいぶ以前のことだ。 ある件で合同庁舎にあった通産省の出先機関を訪ねた。用件も終わって時間があったので、 COCOM (対共産圏輸出規制) のレクチュアを受けることになった。 そのとき驚いたのは、規制の内容が非常に細かいところにまで及んでいたこ…

「粒」を読んで(1)

「粒」を読んでいて記憶の底から浮かんできたことがあるので、書き留めておこう。*1 だいぶ以前のことだが、自衛隊のヘリでミサイル基地の上空を飛んだことがある。たしか京都府の北の方だったと思う。そのときのパイロットの説明は次のようだった。 「この…