石切場(11)

母がこどもの頃の旅、といえば琴平まいりだろうか。
祖父のしりあいで - 文字どおり - 石船で生活している夫婦がいた。陸には住まず、食糧等の買いだしのときだけ船を港にまわす。
祖父がたのむと、幾日間か他の仕事を断り、琴平まで船を仕立ててくれた。甲板のうえは掃除され、祖父と二人分がすわれる花ゴザが敷かれた。島から一日がかりで琴平の港まで船をすすめる。
覚えているのは、土産に買う菓子だ。ふだんオヤツとして持ち歩いてるのは、ガーゼの袋にいれてもらういり豆ぐらいだ。これは泳ぎにいくとき水着にくくりつけてもらう。泳いでいるうちに、海水で適当に塩味がつくヤツ。
琴平の菓子は名前をヘソ菓子といって、小さなキンチャクのかたちをしている。なかに柔らかめの餡をつつんで揚げてある。上から見ると、ほんとにヘソに見える。
紙袋入りもあるが、母が買うのは土産用だ。そいだ木で編んだ篭にきれいな端切れが縫いつけてあって、袋の上を紐で絞ってある。土産店の店先につるしてあった。
これを何個も友達用に - もちろん自分用も忘れず - 買ってもらった。
あるとき台風が島を襲って、避難するのが遅れ、夫婦の船はひっくりかえってしまった。おばさんは船からほうりだされて、亡くなった。
母はそのとき、身近な人の死に、はじめて悲しいという感情を抱いた。