石切場(6)
祖母も、祖父に負けじと母を連れ出した。神戸の踊りのお師匠さんの家というのは、じつは朝日麦酒の社長宅である。そのころ母と同じ年頃の男の子がそこにいて、祖母が稽古をしている間、遊んでやるといってはよく泣かしたらしい。
母は体も弱くて小さかった。学校へはいる前は、郵便船で毎朝わざわざ牛乳を配達してもらっていた程である。
あるとき、母がいじめられて泣いて帰ってくると、祖父が「自分が悪くないなら、けんかに負けて帰ってくるな!」と怒ったらしい。それで次にその子にいじめられたときには、足をつかんで絶対に離さなかった。いくらたたかれても、しがみついていたので、最後にはその子のほうが泣きだしてしまった。
それからは、あいかわらず体のほうは弱かったが、イタズラ好きの活発な性格になっていった。
神戸の男の子も少し線が細かったので、母のイタズラの犠牲になってしまったのだろう。
また、祖母はときどき母を正装させては、少し遠い町へ出かけることがあった。レストランで二人、食事をするためである。祖母はけっこうハイカラで、いつもタンシチューを注文する。それで母は「タンシチュー」ということばを覚えた。ただしそれがどんなものであるかを知ったのは、ずっと後のことだ。