石切場(4)

祖父と祖母が所帯をもったころには、少しずつだがこの島の花崗岩が石屋の世界でも認められてきた。***御影は上等ということで、たしか靖国神社の大鳥居もこの島の産に決まったはずだ。
島の外から多くの人が集まってきた。朝鮮からも移民があった。彼らだけの集落をつくって、コケラ石の加工を専門にしていた。
祖父は自分たちの住いを作業場の近くへと移した。土地を借りすでに完成してる母屋をそのままそこへ移動させて据え付けた。
すこし高台にあったので、はじめは水を運んできて生活をしていた。あるとき、母がスコップで庭の土を掘りかえしてるとすぐに下から水がわいてくる。祖父にいうと、さっそく町から職人を呼び井戸を掘らせた。島ではあるが花崗岩の割れ目を通って浸みでてるので少しもしょっぱくない。逆に町のほうが三角州の上にあるので、水道水でも塩からかった。水量も豊富で1メートルぐらい下まで井戸の水面が上がってきたそうだ。
家は作業場のそばに移したが、祖父は仕事と家族の生活とには一線を画していた。ただ若い衆の食事のときだけは別である。母はみんなのまわりでチョロチョロと動きまわってたらしい。単に母が兄弟で一番小さかったからかもしれないが。
家族が祖父の仕事場にかかわるのは、月末の手当の計算のときである。兄弟3人がそろばんをそれぞれ机の上におく。祖父が金額を読み上げ、みんなはそろばん玉をはじいていく。それで確かめたあとで、祖父は封筒に手当の金を入れていった。