石切場(1)

これから書くことは母親の記憶を通した小さな想い出である。
ぼくの生まれたのは、瀬戸内のちょうどまん中あたりの島だ。
かつて宮本常一が書いていたが、このあたりは島の大きさと比べてなぜか人口が多い。ときどきどうして暮らしをたててたのか疑問に思うことがある。
ぼくの祖父はあまり家族というものにめぐまれず、小さなときから親戚をたらいまわしにされた。十代なかばより徒弟について石切場の仕事をおぼえたらしい。
母は愛媛の生まれだが、ものごころついたころには、すでに島で暮らしていた。
はじめ祖父は親戚筋をたよって島での仕事をはじめたが、大正の終わり頃には親方として独り立ちとなっていた。
最初の妻が子供を三人残して急に亡くなり、それを気にかけた人の世話で祖母が嫁いできた。
祖母は二人姉妹で近所でも有名な美人であったらしい。姉の方は***小町と呼ばれていた。彼女は姉と違い一生結婚するつもりはなかった。そのため踊りと鼓の稽古に身を入れていた。
ぼくの母はそのころまだ乳飲み子で、それを見て祖母はどうにかしないとと思って嫁ぐ決心をしたようだ。
祖父はしっかりとした考え方のできる人間であった。だが小学校もそこそこに実生活に入ったため読み書きが十分でない。そのため帳場の書きつけなど日常に不便がない程度になるまで祖母が字の読み書きを教えたと聞いている。