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抗うつ薬の時代―うつ病治療薬の光と影
3月 12日の 日記の 続きです。
http://d.hatena.ne.jp/sekiyo/20090312
MRI 検査に 立ち会った際、初めて 知ったのだが、検査に 入る前に 認知症の テストを 受けるようにするのが 通例であるらしい。
例えば、闘病記データベースの TOBYO で 検索すると、いくつかの page に その 様子が 書き込まれている (当然、blog に 書くのは 本人でなく 家族ですが)。
http://www.tobyo.jp/
その テストのときに 気づいたことが 2、3 あった。
1つは、認知症の 診断と その後の 診療とが 全く 切り離されていること。
テスト自体は 短時間のうちに 被検者に 多数の 設問に 答えさせ、その 正解率から 認知症か 否かを 判定するという 単純なものだ。
そのためだろうか、多くの 神経内科 あるいは 心療内科において 実施されている。
また、テストの 内容の 改定が 医療の 進歩に 合わせて 当然 必要に なるのだが、どうも 長期に わたり 最初に 作成された リストのままで あるらしい。
診断と 診療との 連携が なされていない 実態は 論外として、他にも いくつか 疑問が 残る。
まず、テスト以前の 問題として、被検者は 高齢だと いうだけで、現実には 医師と 同等の、あるいは それ以上の 経験を 積んだ 人間である 場合が 普通だろう。
そのため、医師が 信頼に 値するか 否かを 判断する 能力は、若年の 健常者に 比べ 逆に 鋭いものだ。
被検者との 会話、すなわち 本来 あるべき 診察を おろそかにし、信頼を 得ることよりも テストに 先入見を 持たせないことのみに 集中しているのではないか。
老化による 記憶力の 減退は、初期に 軽い 失語症神経症を 伴うことが 多いのだが、テストの 結果には そうした 条件は 反映されず、性急な 質問によって 一時的にせよ 症状の 悪化を まねく おそれも 起こってくるだろう。
こうした 場合、テストの 結果から、元々の リスト作成者の 意図どおりの 正確な 判断が 得られるのだろうか。
また、現在のように 薬物の 投与が 主で、 医師による 診察が 従である 医療体制に おいて、診断に 対する 医療の 側からの フィードバック、すなわち 症状の 改善は はたして 可能なのだろうか。
ある意味、生産性に 優れた、だが 少なからず 問題の ある これらの 診断 あるいは 診療方式が、現在の 医療制度 (介護保険制度も 含めて) に 組み込まれていけば、医療体制には 将来、どのような 歪みが 加わることに なるのか。
少し 真剣に 考え直してみる 時期に さしかかっているのかも しれない。
(参考) http://www.nice.org.uk/guidance/TA111
(追記) ちょっと 訂正。