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[Ernest Che Guevara]
没後 40年を 記念して、多くの blog で 彼の ことが 取り上げられている。 そのうちの 1つを、少しずつですが、訳してみることに します。
http://bangsamorohov.blogspot.com/2007/10/forty-years-since-death-of-che-guevara.html

Che Guevara の 死から 40年 (Part 1)

Alan Woods

Che、それは icon (偶像) なのか?

レーニンは 『国家と革命』の なかで 書いている。「今、マルクスの 理論を もつものに 何が 起きているのか。 歴史の 移り変わりの なかで、解放のため 闘っている 抑圧された 階級の 革命的思想家や 指導者たちの 理論に 対し (それは) くり返し 起こった。 偉大な 革命家たちの 生涯を 通じ、抑圧する 階級は 絶えず 彼らを 追いつめ 彼らの 理論を 最も 野蛮な 悪意、最も 狂暴な 憎悪、虚偽と 中傷とを こととする 組織的運動として 受け止めた。 彼らの 死後、彼らを 無害な icon に 変え いわば 彼らを 聖人と なし、そして 彼らの 名前を 抑圧された 階級の 「慰め」のため その人たちを ダマす 目的を もって ある程度まで 清め、また 同時に 革命的理論から その実体を 奪い取り、その革命的な 激しさを 鈍らせ、それを 俗悪化する、そうした 企てが なされた」

Guevara は、彼の 死後、世界中で 社会主義革命運動の icon、現代の ポップアートの 重要な figure (肖像) と なった。 Alberto Korda が 写した Che の 写真が 世界各地で Tシャツや 抗議の スローガンとして 出現し 有名に なった。 こうして Che は われわれの 時代の 1つの icon と なっていった。 レーニンの 死後、スターリンジノヴィエフによる 指導者層は 彼の figure の まわりに 1つの cult を つくりあげた。 クルプスカヤ (レーニンの妻) の 願いに 反し、彼の 遺骸は 保存され 赤の広場に ある その墓に 公開の 展示として 供された。 後に クルプスカヤは 述べている 「Vladimir Iryich (レーニン) の 生涯の すべては icon に 反対する ものだった、 そして 今、連中は 彼を icon に してしまった」と。

2005年 11月、ドイツの 雑誌 "Der Spiegel" は ヨーロッパの 「平和主義的革命家たち」を 取り上げ、そこでは Guevara が ガンジーの 後継者として 書かれていた! それは まったくの 戯画だ。 マルクス主義階級闘争 あるいは 社会主義革命と 全然 関係のない、Che を 革命の聖者、空想的プチブルジョアアナーキストガンジー的平和主義者、その他 さまざまな デタラメな 種類の ものとして まったく 偽った 絵に 描くことを 望む そうした 人々から われわれは 「Che Guevara を 防御するための Society」を 組織するべきだ。

原文が 長いので (正直 ちょっと) 後悔してる、全部 訳せるんだろうか ...oLr
(追記) 元の blog が 消えてしまったので、リンク先を 下のように 変更しました。
http://www.socialist.net/forty-years-death-che-guevara-part-one.htm