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[physicomath] "数学・物理通信 9号 (英語の タイトルを)" (11年 9月 3日)
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/09/9_6bc8.html

許容量の 概念とか 被曝線量に 関しては いまでは ICRP の 基準が 一般的に なっているが、これに 貢献したのは 実は 武谷の 著書 「原水爆実験」 (岩波新書) で あったらしい。

許容量のことが この書に 出ていることを 知った、アメリカの 物理学者 J. Orear は それを 当時 コロンビア大学に いた 森田正人さんに その 箇所を 英語に 訳してもらい、それが ICRP に 採用されたのだと いう。

いまでは 被曝線量についての リスク・ベネフィット (Risk-Benefit) 論は アメリカ起源の 概念として 誰も 疑問を もっていないが、その タネは 武谷の 提唱した 許容量の 概念であった。

physicomath さんによれば 現在、武谷三男について 人々の 関心が 薄れつつある、と いうことです。
福島第一原子力発電所の 事故と 関連させて、武谷三男の original な 考え方を、参考までに 少し 引用しておきます。

安全問題の 基本は 立地条件に ある

基本的な 点は、むしろ 最も 簡単な ことであって、科学技術の 詳細な 専門知識を 必要と しないことであり、誰にも わかることである。 したがって、専門家にも 素人にも つまらないように みえるが、しかし いちばん 重要な ものである。 そこを ちゃんと しなければ、あと 如何に 専門知識で 十重二十重の 安全装置と いっても、信頼性は 十分とは いいがたいのである。

(つまり) "危険な ものは、災害の 可能性の ある 場所に おかないこと、場所 そのものが、いちばん 基本的な 安全装置である" と いうことである。

安全装置の 理屈を 並べて "だから 安全は 完璧です !" という 科学技術者が いたら、それは カタログ知識しか ない 学校秀才に すぎないと 思って 間違いない。

さらに、私のような 議論を "精神訓話だ" と 批判する。 彼らは こみいった テクニカルな ことでないと、ありがたいとも、実際的な ものとも 考えないのである。

数字による ごまかし

百万分の一の 確率といえども、それを 無視することは できない。 無視した 場合、そのような 確率は 必ず 増大するものである。

いま 或る 確率 (または 事故の 総数) を W とする。 放置すれば、必ず これを 増大させるような 自然的な 力が 働く。 これを F_1 とする。 これに 対して、これを 減らそうとする 努力を F_2 とすれば、例えば 次のような 式が 成立するであろう。

\Large\frac{dW}{dt} = F_1 - F_2

t は、適当な 時間の パラメーターである。 F_1 > 0 であり、F_2 の 努力が 存在するとき 始めて

\Large\frac{dW}{dt} =< 0

と なりうる。 F_2 > F_1 と いうことは、百万分の一の 確率と いえども 無視しないと いうことである。 W は 無視できても、dW/dt は 無視しては いけない。

武谷三男 「安全性の哲学」 (1966年)