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[Rosalie Bertell] "No Immediate Danger" (1991)
http://www.ratical.org/radiation/inetSeries/NID.html
タイトルを 意訳すると ただちに 影響は ありません かな ?
はじめの ところを 少し 訳してみます。

放射能 -- ただちに 危険は ない ?

Rosalie Bertell

死と 税金 -- こればかりは 避けることが できない。 税金は 変えられるかもしれない、しかし わたしたちは すべて、いつかは 死と 向きあう。 個人として 死を 引き受けるのは、その 体験が 過去と 未来、両方に つながるため、まだしも やわらげられる。 その 一方、種の 絶滅は、歴史、文化、科学、生物学的再生 そして 思い出の、比較的 (文明の 段階では) 迅速な、慎重に 引き起こされる 終末を 意味する。 それは 究極の、生命という たまものへの 人類からの 拒絶であり、描写するには 新しい 言葉、「オムニサイド (総体としての 虐殺)」 が 求められる 行為だ。 オムニサイドを 理解するのは むずかしい、だが、そのための 予備調査を 認め、それが 起きるのを 防止することは 可能だと 思う。

このことは、わたしたち 一人一人が、みずからに 「核への 無知」 を 告げることを 求められる。 何年か 前、わたしは ある 市民グループから、私が 住む 町、New York の Buffalo 近くに 建設予定の 原子力発電所公聴会へ 来るよう 誘われた。 わたし自身の 研究には、一般的な X線の 危険が 伴うことは 避けられない。 わたしは 原子力発電所とは まったく 関係が なかった。 私は、事故が 起きなくても、これらは 全体として 含まれるものと 考えていた。

わたしは この お手盛りの 公開ミーティングで、即席の 教育を 受けた。 彼らは、原子力発電所からの 5人の 人物の 氏名、役職 それから 発表内容が 載っている 1枚の プログラムを、わたしに 手渡し、その 空いたところには 「市民による 委員会」 という 注記が あった。 また、Niagara 郡 議会が 議員の 要請で 決議した 質問書を わたしは 渡された。 公益性のある 会社の 人物は、2週間に わたる 質問を 受け付けた。 わたしたち 「市民」 は 観客席に すわり、5人の 人物は 舞台に 着席した。 彼らは それぞれ、きっちり 15分間を とって、すべての 放射能が、遠隔操作の 装置で、全員が 幸せそうに 見える 労働者によって 扱われる、限りなく -- きれいな 環境の -- 映像を 上映した。 日常的に 公衆と 労働者が 受ける 低線量の 放射能は、まったく ほんの わずかな 医療用の X線 -- その 影響を 私は 9年間 学んだ -- のようなものだと 彼らは 語った。 あなたたちが 医師によって 医療用の X線を 受けても、何の 害も ないと、彼らは 受け取っていた。 こうした 広報活動の やり方に わたしは まごついた。

わたしは また、この 発電所が Gerver baby food で 使われる 農作物を 栽培している 農場が 隣に あることを 質問した。 これには 発電所の 人物が 驚いた (彼らは 近くの 農場は 調べてなかった。 彼らが 調べたのは Ontalio 湖の すべてが 彼らの 発電所のための 良好な 冷却水だと いうことだ)。 その晩、わたしは 少々 雄弁に 語り、わたしたち 市民グループの 3人は、聴衆からの 反響を 受け、発電所の 5人の 人物は そう ならなかった。 次の 日、Niagara 郡 議会は、わたしが 信じるところでは U.S. の 原子力で 最初の 一時停止を 決議した。 それは 1973年頃に さかのぼる。

その後、わたしは 新聞での 中傷キャンペーン、それに わたしが 勤務する ガン研究所で 報復や 検閲を 経験した。 わたしの おとぎ話のような 罪のない 話を 考えても、この 反発に わたしは 驚いた。 核産業が、人々を 日常的に 電離放射能に さらしていることが、法によって 許容されている、それが わたしにとって 新発見だった。 こうした 「許容レベル」 が どこで 始められたか、ふり返って 確かめることを、わたしは 始めた。

英語は ニガテなのに ... oLr
(追記) ちょっと 訂正。