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[Rosalie Bertell] "No Immediate Danger"
続きです、

今、わたしたちの 進路は -- 核戦争 あるいは 技術的大災害によって すばやくか、もしくは ゆっくりと、毒物による 種の 死滅へと 向かっている。 ふつうは 拒否することで、あるいは 怒りと 失望から、あるいは 十分とは いえないが 折り合いを つけようとする 交換とかで、死に 反発するように 人々は 反発すると、わたしは 思う。 一つの 種として、わたしたちは 堕落したのだとか、集団自殺が 行われるだろうとは、わたしは 考えていない。 わたしは、わたしたちが そうするのに 十分 愚かであり、それは やりかねないと 思うが、それを 行う 必要は 何も ないのだ。

この 人類の 末期症状の 正体を 暴露することは、必ず、個人、家族、町や 国、そして 地球を、暴力を 伴って 巻き込むことになる。 いくつかの 暴力、例えば 父親による 子殺しの 権利は 廃止されていても、別の 暴力の かたちは、例えば 拷問、投獄、戦場に 送ることで 子どもたちを 殺すこと、それに 当然、女性に 対する 暴力の 流行のように、未だに 「社会的に 有効」 だと 思われている。

わたしたちが、もし 一つの 集まりとして、この 局面で 立ち上がることが できれば、内外から、国の 権力構造に 影響を 及ぼす、さまざまな 社会的、政治的集団の 周到な 合意を 打ち立てることになる。 彼らが その 考え方や 行動を より 国際的に することが できるなら、こうした 集まりは 地球村のための 草の根組織を つくりだすだろう。 アイデアを 持ち出し、合意の 決定と 作成を 促し そして 計画の 公平な 実行と その 集いの 運動の 持続を 考えるという、社会的な 役割に つくことの 必要性を 女性が 持つのは、それほど 不自然な、彼女たちの 本能に 反したものには ならない。

ある 専門分野では、女性は 社会のなかで 出産と 死に 立ち会ってきた、そして 今、わたしたちは こうした 関係を、種の 死滅への 道のり -- あるいは、こうした 死滅を 防ごうとする 人類の 務めを 導きだす、新しい 方法の 誕生に 向けて 変えていった。 種の 生存に 欠くことが できないのは、その 考え方、決定や 作成、そして 集まりで 実行に 移すとき、女性と フェミニストによる 見通しが 含まれることだ。

それは 男性にとっては、おおむね 他の 人間以上に 腕力を 示さないことと、国や 仕事場 それに 家族での 争いや 暴力を 含んだ、男らしさという 価値の 軽視を 意味する。 男たちは いつも、彼らが 戦いに おもむくのは 女性と 子どもたちの ためだと いってるが、それは 見せかけだけで、男たちが 祖国を 守るという 考えで、戦争のためなら 女性や 子どもたちを 痛めつけ 殺したいのだ。 わたしたちは 慣習、言葉、生活様式、食料を 守ることを 望む、それが ナショナリズムの きれいな 側面だ。 だが、そこには 軍の 存続を となえ わたしたちに 同意しない 人々を 殺す 必要が、どうして わたしたちに あるのかという 道理は ない。

わたしたちは 数多くの 草の根組織という 場を 得ている。 わたしたちは 全世界に 通信手段を もち、移動手段を もち、病気を 直す 方法を 知っていて、地球の 人口のために 必要な 1.5倍の 食糧を もっている。 わたしたちが 断念させようと 話し合うのは、国内であっても 海外であっても、その 人々に 別の 人々を 殺すよう 強いる そうした 国の 権利だ。 これは とても 単純な 事柄だ。 もし これから、そうしようと するなら、わたしたちは 多様性ということを、顧慮するだけでなく 喜んで そうしようとする、この 地球村に 基づいて 組織することから 始めなくてはならない。 なぜなら、多くの 変化していく 状況を 処理する 能力と、世界の 一部が あり余っていて、別の ところが 必要としているときに、分かち合える 能力とによって 生き残れることになるから。

わたしたちの 単式農法は 自滅の かたちを 変えたものであり、わたしたちの 生き残りを 分かつものが 多様性なのだから。

(初出 Ms. Magazine 91年 9/10月号)

つ、疲れた o . ..Lr
(追記) すこしだけ 文意が 通るよう 訂正。