miscellanies

google 等の 検索エンジンを 日常 ほとんど 活用していないので、これから 述べることは ネットの 常識からは、もしかして、はずれてるかも しれない。
それは、インターネットという 仕組みの中では (プロバイダも 含めて) 各ユーザ間の やりとりを 律するような 確定した ルールというものが ない、ということです。
いいかえれば、ネットに つなぐという ハードルさえ 越えれば、誰にでも 平等に 発言権が 与えられる、という わけです。
hatena に 代表される blog サービスも おおまかに とらえれば このことを 後押しする 役割を 果たしている といえます。
もともと UNIX の 分野から 拡がって、現在のように 日本でも 相当数の ユーザを 獲得していったのは - パイオニアたちの 努力は むろんですが - こういった 上意下達型ではない システムが ベースに あったからでしょう。
UNIX による ネットワークが 大学等で 構築された 当初、ネット上の 神(?)といえば 管理者の ことでした。今でも トラブルが 発生したときは まず 「管理者に 報告」しないと いけませんネ。例えば 彼が NO といえば それは 絶対 NO なわけです。
ただし 管理者は 永遠に 管理者で いるわけではない。ネットワークの 仕組みを 学んだ者には 当然 その権利が - 自動的に - 与えられます。
つまり インターネットが 始まる 以前の ネットワークにおいても、その技術を 覚えさえすれば 各ユーザ間の 権利は 平等だった といえます。
そして ネットを ささえる プロトコルという 仕組みは、あまり その形を 変えることもなく 現在の インターネットの 世界に 継承されています。
インターネットという 地球的規模の ネットワークに 移行していったとき、爆発的ともいえる その拡大に 伴って 変化したのは、技術そのもの ではなく、それに 関わってる 人間のほうだったと 考えることが できます。
このあたりの事情に なんとなく 気づいてたのは やはり ネットワークを 自分たちで つくりあげていった 人たちでしょう。国や 企業は こういう 発想のしかた そのものを 理解しようとは しないでしょうから。
USA で ネットワークを 通じた やりとりを 始めに 犯罪視したのは USSS*1 や FBI でした。家宅捜査や ハードディスクの 押収も やられたようです。
(このあたりから office さんの 逮捕劇を 考えてみるのも いいかも しれない。USA の 電気通信プライバシー法*2 と 比較しても 問題の 法律は どうなんだ、とか ←判例も 含めて)
ただし 彼らは 映画「イージーライダー」の 悲惨な 結末のようには ならなかった。
その 攻防の なかで EFF*3 が 誕生したのは ↓の本にも チラッと でてきます。
「インターネットが 変える世界」(isbn:4004304326)
調べてないけど ヨーロッパの セルン ネットワーク などでも こういう 軋轢は 当然 あったでしょうね。
このときの EFF の、
"How do we balance intellectual property rights with the free flow of information?"(上記書籍より P199)
という 問いかけは 10年以上 遅れて、日本でも やっと ユーザの間で 共通の問題と なってきたんだと 思います。(まだまだ その拡がりは 小さいですが)
それと 「著作権と コードの自由」の 問題も これらのことと - おそらく 深いところでは - からみあってるように 感じますネ。
(↑の件は 他で とりあげられるでしょうから、一言だけ。翻訳権を 規定した ベルヌ条約の側から 眺めたほうが より広い視野で 考えられるのでは ? USA が 国として どんな立場を とってるかも わかるし)

(追記) 書き上げてから 参考になるかも と思う page を 捜してみました↓
ハッカーを追え」
http://hw001.gate01.com/katokt/HackerCrackdown.htm
「ハイテク犯罪捜査の抱える問題について」
http://www.comit.jp/sec/SJG.HTM
「電子通信プライバシー保護法」
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/doc/code/act-USC-18-2701.htm

*1:United States Secret Service

*2:Electronic Communication Privacy Act

*3:Electronic Frontier Foundation