miscellanies

[Kwame Nkrumah]
ぼくは ときどき、適当に 本を 選んで、パッと 開いたところを 少しずつ 読むと いうことを します (あまり 人には 推められませんが)。 こんな 感じで、

1971年 4月 14日 ... 突然、花模様の シャツを 着、肩まで 届くような 髪の毛を 刺繍入りの 鉢巻きで うしろに 押えた、19歳になる アメリカの ヒッピーが 立ち上がった。

「ボクは、こんにち アメリカの青年を 興奮させている ヒッピーの 運動について、周総理が どう 考えているのか、スゴク 知りたいと 思うのですけど」

「第一に、このことについては、私は 非常に はっきりとは 知っていないのです」 と、周総理は、しずかに、まばたき 一つ しないで 答えた -- 「それで、私は かなり 表面的な ことしか しゃべることが できません。

たぶん、今日では、世界の 青年は 現状に 不満足で、真理を もとめたい、と 思っているのでしょう。 ここから、考え方にも 変化が おこってきて、それは いろいろな 形を とることに なりそうですね。

そうした 形は、最終的な ものだと いうわけには いきません。

というのは、青年は 真理の 探究で、さまざまな 過程を とおりすぎなければ ならないからです」

「人類の 発展を つうじて」 と、周総理は つづけた -- 「人類の 進歩を つうじて、普遍的 真理というものは、必ずや 最後には 見つかるものです。 自然界の 諸法則と 同じことです。 私たちは、若い人たちが、真理に 到達するための、さまざまな 方法を 試みようと 思うことに 賛成です。

ただ 一つ 大切なことは、あなたが つねに、人類の 大多数と 共通の 何かを 見つけるように 努力すること、大多数が 進歩して 幸福になるように することです。

しかし、もし 人が 自分の 実践を つうじて、やっていることが 正しくない、ということが はっきり 分かってきたならば、それを 変えるべきです。 このように やるのが、知識を 身につける 方法なのです」

(W. バーチェット (杉山訳) 『中国 - 生活の質』)

周恩来に 対し 果敢に 質問をした この 少年も、今では オジサンに なってるのか ...
また、別の 本を 取り上げてみる。

ついでながら わたしは 1つの 皮肉な 例を 思い起こさせられる。 それは ウィリアム・コントンの 『アフリカ人』 という 小説と ガーナの エンクルマとの つながりである。

『アフリカ人』 の 主人公は、独立運動に 乗り出す 決意を かためると 同時に ... 生活様式も いっさい 伝統に 従うようにする。 そのようにして 民心を つかむ 用意を ととのえたうえで、政治に 足を 踏みいれるのだけれども、現実の エンクルマの 政治活動も 民族宗教の 雰囲気に 似かよったものであったことは、アメリカの 黒人作家 リチャード・ライトが 『ブラック・パワー』 という 表題の ガーナ紀行の中で 伝えてもいる。

(橋本福夫 『全集・現代世界文学の発見(9) 第三世界からの証言』 解説)

黒人文学の会の メンバーであった 橋本には わるいが、リチャード・ライトの 『ブラック・パワー (エンクルマへの 手紙)』 (1954) は、はたして ゴールドコーストの 民心を わがものと するための、そうした 部族生活への 接近を、主要な 内容と するものだったのだろうか? それは、そうでは ないだろう。
田吉行 「リチャード・ライトと『ブラック・パワー』」
http://tamada.med.miyazaki-u.ac.jp/tamada/works/wright/black-power-j.doc (words doc)
(via http://tamada.med.miyazaki-u.ac.jp/tamada/)
その上、この 解説には、エンクルマが 戦前、ロンドン 亡命中に 後に アフリカ諸国を 独立に 導いた 他の 民族指導者たちと 緊密に 意見を 交換した、という 事実が すっぽりと 抜け落ちている。 そこで 語られた 伝統とは、積極的な 意味合いを もつもので あっただろうに。
橋本の 「混沌の なかからさえ、未来は 開けていくし、そうでなければ ならない」 という 結論には 同意しても、次の 一文などは、African Studies に よく 見かける、明らかに まちがった 解釈に すぎないのでは ないか。

(小説の 主人公とは 異なり) 現実の エンクルマのほうは やがて 独裁者になり、国民の 恨みを 買って 失脚するわけだが、部族間の 争いも その 背景に あったとも いわれている。

なにゆえに、この時期 「部族間の争い」 が 引き起こされたのか、と いうことのほうが より 問題で あるのに。
(この項 続く)