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Grover Furr への インタビュー (続き)

Q: あなたの、トロツキーと 彼の スターリン批判、それに ソビエト連邦に 関する 全般的な トロツキスト全体の 姿勢への 評価は どうなのか?

A: トロツキーは 本物の 知識人だ、しかし また 非常に 限られた 人物でもある。 彼の 思想は、ボルシェビキと メンシェビキの 立場を 合わせたもので、彼は ボルシェビキの 党派で 右の - 経済決定論者 - 主柱に 依っていた。

このこと自体は、彼を 排斥するには 不十分だ。 つまり、1920年代には、異なった 思想の 持ち主の 間での 討論は、健全で 優勢だった。

しかし、トロツキーは 不誠実だった。 彼の 意見は、20年代を 通し、ボルシェビキの 委員会 および 会議で、しばしば 斥けられたので、彼は 別の 方法により 勢力を 得ようと 試み、分派を 形成し 維持した。 1929年に U.S.S.R. から 追放後、彼は その生涯の 残りを、勢力を 取り戻すための 計画に 費した。

ソビエト公文書からの 資料は、1936-8年の、公開された 3つの モスクワ裁判での、トロツキーに 対する 非難の 告発が、事実だと するに 十分な 証拠を 与えている。 トロツキーの 支持者は 確かに、ソビエト政府の 転覆と、スターリン 他の 暗殺のために、右派との 「ブロック」 を 形成していた。

また、同じ 裁判において 告発された、トロツキーが ドイツ軍部の 指導者 および 日本と 接触したと いうことの 十分な 証拠も ある。

かつての ソビエト公文書から、さらに 証拠が でる [可能性を] 除けば -- それが 事実であり 正確だと 考えていると しても - 私は、この裁判の 立証を 意図している わけでは ない。 こうした 証拠は、この裁判の 被告に 対する、また 欠席している 共同して 共謀した トロツキーに 対し なされた 実際の 告発を 確証している。

トロツキーは 非常に 傲慢であり 独裁的であった。 彼は、たとえ 親しい 支持者からで あっても、めったに 批判は 聞き入れなかった。 彼は、彼の まわりに 個人崇拝を つくりあげ、それは 彼の 生存中 そして 現在でも、 トロツキスト運動を 特徴づけている。

共産主義者の 中の トロツキーに ついては、ここに、かなり 役だつ 記事が ある。 "the Progressive Lavor Party's journal" (Spring 2004)
At http://www.plp.org/communist/communistspg04.pdf

おそらく、この 箇所については - 事実に 照し合わしても - かなり 異論が あると 思います。 ぼくの 基本的な 考えは、訳を 終了させた 後で ...


(追記) 上の pdf.file、xpdf だと セグメンテーション違反に なって、見れません ... oLr