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[第15回 高経年化技術評価に 関する 意見聴取会] (5月 23日)
これだけ 関係者が 揃っていて、きちんと 工学的発想の できる 人は わずか 2人しか いない。
そこで 専門家である 彼らにも 理解される 設問を してみます、

運転が 30年に 達しない 原子炉圧力容器で プルトニウム混合燃料を 燃焼させた 場合、信頼できると される 予測式に 条件を 一部 変更して 適当な 数値を 入力したと して、そこから 得られる 予測結果は 有効か。

答えは 否です。 そうですよね? 庄子さん。 工学は 経験則の 科学でも あるのですから。
それは 経年劣化と 直接 むすびつかないと しても、将来 起こりうる 原子力政策の 選択の 一つだと いうことは 誰の 目にも 明らかなのだが、それすら 直接の 当事者である 彼らの 視野には 入っていない。
そう 考えなければ、会議を 取り仕切る 司会者 自らによる 井野博満さんへの 暴言 -- そういって いいでしょう -- を 理解することが できない。
原子力安全・保安院が 聴取会に 専門家を 招聘したのは、将来の 事故を 前もって 防ぐためでは なかったのですか?
庄子哲雄氏も 含め この 人たちに 欠けているのは 専門家としての 学識 以前に -- この 下に 引用した 小倉志郎さんの 指摘を 受け入れるなら -- それは 彼らの 工学者としての 資質 そのものだとの 結論に、残念ですが、導かれます。

現役当時に 私が 習ったのは、事故が 起きる 確率と 事故が 起きるときの 被害の 大きさを 掛け合わせて 算出するのが リスクだと いうことです。 その リスク評価を きちんと やれば いいのです。

これから 何世代にも わたって 影響の ある 被害を、どのように 算定できるのでしょうか。 放射性物質が 環境に ばら撒かれたら、被害の 大きさは 計算不可能な 無限大に なってしまうのです。 だから、起きる 確率が どれだけ 小さくても ゼロで なければ、リスクは 無限大に なります。

しかし、原発の 抱える リスクが 変わったのでは ありません。 ずっと 昔から 同じ、リスク 無限大だったし、今も リスク 無限大なのです。 そのような 事故が 起こってしまってから 方向転換を 考えるなんて、想像力不足だったのでは ないでしょうか。

小倉志郎 (『世界』 2011年 7月号)

また 「そのような 事故が 起こってしまってから 方向転換を 考える」 のですか?
(追記) ちょっと 訂正 (電中研は いらないか ... )。
(追記 その 2) 井野博満 「脆化予測式の 妥当性に 関する 意見と 質問」 (6月 5日)
http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/800/30/016/16-12.pdf (pdf file)