miscellanies

[Kwame Nkrumah]
同じく、植民地下の ガーナに おもむき、しかし リチャード・ライトとは 別の アプローチを 試みた スティーブン・ハイマーを、次に 取り上げる。
最初に、彼の著書 『多国籍企業論』への 都留重人の 書評から 引用してみよう。

学位論文を 終えてのち ハイマーは、本書の 第2部収録の 諸論稿に 明らかなように、多国籍企業を 主題としながら、資本 の国際化や 国際的寡占化の 傾向について 論じ、地球的 (= グローバルな) 次元での 資本対労働の 問題にまで、その思索を ひろげていった。

これは 「超帝国主義」(= ハイマーによる命名) の 考え方と 呼んでもよいかもしれず、資本の側では、精力的分割を 争うよりも グローバルな市場での 共通利益を 追求する 「国際的資本家階級」が 形成されていき、労働者の側では、立ちおくれながらも、労働組合主義から 脱却して、国際的な 対応を せざるをえない 事態に なりつつあるというのだ。

『体制変革の政治経済学』 '83

ハイマーは、ある論文の 脚注において、「共産党宣言」の中の ブルジョアジーという 言葉を 「多国籍企業という 言葉に 置き代え」ることで、それが 「現代の 多国籍企業の支持者の 説明の どれよりも ダイナミックな描写が 得られる」と いう。

多国籍企業は、すべての 生産用具の 急速な 改変によって、無限に 容易になった 通信によって、あらゆる 国民を、もっとも 野蛮な 国民をも、文明に ひきいれる。... かれらは すべての 国民に、滅亡を のぞまないならば、ブルジョアジーの (すなわち 多国籍企業の) 生産様式を 採用するように、強制する。... 一言でいえば、かれらは、自分たちの 姿のとおりに、ひとつの世界を 創造するのである。

そして、ハイマーの 経済学における 最大の 貢献は、こうした パースペクティブの 前提となる 条件としての 先進資本主義国間での 「多国籍企業弁証法」("dialectics of multinational corporation") を 明らかにしたことにある。
それは 宮崎義一によって、簡潔に、しかも 明解に 説明されている。
(この項 続く)