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[Old Manila]
日本軍 侵略前の Manila 市街。
現在、Manila には アジア開発銀行 (Asia Development Bank) の 本部が 置かれており、かつての 新旧 侵略者である 日本と U.S.A. は ともに その 「最大の 出資国」 と なっている。
http://video.google.com/videoplay?docid=-4933039399110729804 (video)
(参考 -- 最初期の Manila)

16世紀末 以降、18世紀末までの 200年間、イスパニア人の フィリピンにおける 重要な 財源の 一つとして、マニラを 唯一の 港とする 政府独占の 外国貿易が おこなわれた。

この 貿易は 一名 「ガレオン (大帆船) 貿易」 と よばれた。 すなわち メキシコの アカプルコと、フィリピンの マニラの あいだを、イスパニア政府 所有の ガレオンが 往来して おこなわれ、民間商人の 自由貿易は すべて 禁止された。

また マニラ 以外の 諸港は すべて 閉鎖され、欧米 諸国船の 来航も 禁止された。

その 貿易の 内容は、マニラを 集貨基地として、中国船などで 運ばれてくる アジアの 商品 (主として 中国産の 絹・陶器・インド産綿布・香料など) を、ガレオンによって アカプルコに 運び、中南米の 銀と 交換する 中継貿易であった。

これにより イスパニア人は ばく大な 利益を 得たが、フィリピンの 産業は、むしろ 自生的発展を 阻害された。

片山誠二郎