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[Ernest Che Guevara]
その 死から 40年 (続き)

「どんな 時期や 状況であっても 闘わないことの 口実は 常に 増殖するだろう -- そして それは われわれが 決して 自由を 手に入れられないことを しばしば 意味する。 Che は 彼の 理想より 長く 生きなかった。 だが 彼は 彼の死に ともない (この増殖は) さらに 広範囲に 拡大するだろうことを 知っていた。 彼らの 政治的 卑劣さと 果てのない 失策とともに、彼の 偽りの 革命への 批判は 彼ら自身の 愚行の 証言より 確実に 長く 残るだろう。 日記が われわれに 示すように ラテンアメリカでは 数多くが そうなる こうした 『革命家』きどりの 1人、Mario Monje が この 運動での Che の 政治的、軍事的 指導権の 権利に 異議を 唱えるため ボリビア共産党 書記長という 彼の 肩書を 利用したことには なんの 価値も ない。 そして Monje は また 党内の 彼の 地位を 手放す 意向を 表明した。 彼によれば (実質上の) 地位が 保たれ 彼に 指導を まかせる 権利を 与えるには それで 十分だった」

「いうまでもなく Mario Monje には ゲリラ戦の 経験が なく かつて 戦闘を 行なったことも なかった。 だが 彼が 自らを 1人の 共産主義者だと 考えた その 事実が、ボリビアの 最初の 独立のため 闘った 真の 愛国者が 抱いたような ありのままで superficial な 愛国心から 彼を 遠ざけた」

「もし これが この 大陸で 闘争する インターナショナリスト反帝国主義者の 考え方であるなら、そうした 『共産主義者の 指導者』は the Conquest の 時代、ヨーロッパ征服者によって 征服された 土着の 部族より はるか 遠くへと 前進することは ない」

「これが その 歴史上の 首都が 両者とも ベネズエラ人であった 最初の 解放者に 敬意を 表し Ducre と 名づけられた ボリビアという 国の 共産党 指導者たちの 行動だった。 Monje には 真の 革命的 巨人である 政治的、組織的 および 軍事的 人材に 協力を 得るよう 努力する 機会が あった。 (Che の) 大きな 目的は ボリビアの 偏狭で 不自然な そして 不正ですらある その限界に 制約されなかった。 けれども Monje は 恥ずべき ばかげた 根拠の ない 態度で その 指導権を 要求する 以外 なにも しなかった」 (Ernest Che Guebara "Borivian Diary", "A Necessary Introduction" by Fidel Castro, p xxxi-xxxii)

そして Castro は Monje と ボリビア共産党 指導者たちへの 辛辣な 告発を 続ける、

... だが まずいことに その結果、Monje は 運動を 妨害しはじめた。 La Paz に いる 間、彼は ゲリラ戦に 参加しようとしている よく 訓練された 共産主義者の 闘士たちを 妨害した。 彼らは 武装闘争に 参加するに 必要な あらゆる 資格を そなえた たぐいの 人間だった。 だが 彼らの 前進は 無能で manipulate な 指導者によって 犯罪的に 阻まれた」 (Ernest Che Guevara "Borivian Diary", "A Necessary Introduction" by Fidel Castro, p xxxiii)

1月の 終わり、Che は 彼の 日記に 書いている、

「この月の 情勢分析」

「私の 予期したとおり、Monje の 態度は 初めは 言い逃れであり 次に 陰険 (な ものと) なった」