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[ベルギー国王レオポルド二世再考]
マーク・トウェインと その「レオポルド王の独白」については、この日記でも 何度か 言及したが、藤永茂さんが コンラッドの『闇の奥』を 読み解く 過程で、レオポルド王 支配当時の コンゴにおける 英国資本 -- その後 U.S.A. も 参入した -- の 暗躍について 書いています (現在も 継続中)。
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2007/12/post_f4eb.html
そして 現代へと 続く この問題には Ernest Guevara も 1964年 12月の 国連演説の なかで 触れている。

私は 特に コンゴの 悲痛な事件 -- パトリス・ルムンバの 殺害 -- に 言及したい。

それは、 絶対に 罰せられることなく、無礼きわまる 厚顔を もって、いかに 人民の 権利が 侮辱されるかを 示した、現代世界の 歴史において 類を みない 事件だった。

コンゴの 巨大な 富は、帝国主義諸国が 自らの 管理下に 収めておきたいと 願っているものだが、(そして) これこそが その 直接的な 原因なのである ...

これでも まだ 足りないと いうなら、世界を 恐怖と 憤激で うめた 最近の 事件について 述べることに しよう。 誰が (コンゴを 動乱に 陥れた) 犯人か?

ベルギーの 落下傘部隊は、合衆国の 飛行機で 輸送され、彼らは イギリスの 基地から 飛んだのだ。

われわれは、ヨーロッパの 一小国で 文明の 発達した 工業国 ベルギー王国が ヒトラーの 大軍に 侵略されたのを 昨日の ことのように 覚えている。 われわれは、これらの 人民が ドイツ帝国主義者によって 虐殺されていることを 知って 悲痛な 思いをし、彼らに 同情した。

だが その時 多くの者は 帝国主義者の 貨幣の 裏側に 気が つかなかった。

おそらく 祖国の 防衛で 死んだ ベルギーの 愛国者の 息子たちが、いま 白人の 名において 数千人の コンゴ人を 殺害しているのだろう。 ちょうど 彼らの 親たちが、その血が 純粋に アーリア系で ないために ドイツ人の 軍靴のもとで 苦痛を なめたのと 同じように。

メッカへの 旅の後、アフリカの 歴訪を 終えた Malcolm X は この時 Ernest Guevara と 会う チャンスが 一度だけ 訪れる (結果的には 会えなかったが ...)。

そして、Malcolm X が 彼の コンゴ侵略に 反対する 集会へ Guevara を 招待しようとし、Ernest Guevara が その コンゴでの ゲリラ戦に 入る前、Malcolm X 同様 アフリカ各地を 歴訪したことから 考えれば、彼らの 間では 意見が 合致していたことは 確かだと 思われる。