miscellanies

[ボアの村]
ヒストリエ(3) (アフタヌーンKC)
... また カゼを もらってしまった。
今度のも けっこう キツイので、何を しても 集中できず、C の やりなおしにも 手が つかない。
きのうも George Breitman の "Myths About Malcolm X" を 読んでたら 頭が ズキズキしてきた ... ヴ〜。*1
http://www.marxists.org/history/etol/writers/breitman/1967/03/speech.htm
で、先日 買っておいた 岩明均の 「ヒストリエ」を 読んでみる。
主人公 エウメネスが 若き日を 過ごした ボアの村だが、村の 俯瞰図を 見ると 弥生時代近畿地方の 村落に そっくりだ。

集落の 周りには 柵が めぐらされ、内側 そして 外側に 農地が 広がり、わずかながら 家畜も いる。

さらに 裏手にある 池 ...

もちろん 違うところも ある。
近畿地方の、弥生時代 後期の 集落では すでに 階級が 発生しており、そこでは 集会所などは ない。 村々の 支配者は -- おそらくは -- 集落の 外に あり、生産物を 徴収しても 村の警護など ロクに するはずも なく、集落を 囲む 柵は そのための 自衛策だ。 たとえ 鉄製の 農具を 貸与されていても、そうした 武器は もたされては いない。
ギリシャ都市国家は 当然、階級社会で あるが、ボアの村は 「ヒストリエ」では 他からの 移住者という 設定なので、まだ 村内には 支配、被支配の 関係は 生じては ない。
ボアの村に 実質的に 近いもの、というと、たとえば、時代は 下り、そして 耕作地の 面積も ボアの村より 広いが、登呂が それに あたるだろうか。
登呂遺跡が いわゆる 倭国大乱 以前であると 仮定すれば、だが (正しいとは 思うけど ...)。
遺跡のある 場所が 低湿地帯であり 環境には めぐまれていないにも かかわらず、集団による 作業と 高度な 耕作技術とにより、集落全体が 非常に まとまった 印象を うける。 また 集会所は さすがに ないが 余剰食物を 保存するための 本格的な 食糧庫も 備えている。 集落を 囲む 柵が 見当たらないのは、他の 集落との 交流は あっても、緊張した 敵対関係には なかったのだろう。
この時代の 階級発生の 痕跡を みるには、その共同墓地の 埋葬品を 調べるのが よいと されるが、登呂では 今だ 差別化は されなかったのでは ないか (墓地自体、不明の ようだ)。
その耕作の 技術を みると、時代的にも 当然 大陸との 交流は あったと 思われるし、すでに 青銅器等の 製作技術も 伝播していただろうが -- 木製の 小さな 剣を 除けば -- 武器類は 発見されていない。
ボアの村で 信仰された 神は 「ヒストリエ」では 不明だが、たとえば、登呂での 祭祀が 集落の 外で 行なわれたと 仮定すると、青銅器製作の 技術も そこで 銅鐸などに 用いられたのかも しれない。
登呂の人々は 何十年か? 後に 何らかの 理由で この地を 離れることに なるのだが、ボアの村は この後、アレキサンドロス大帝の 東征に 巻き込まれて いくのだろうか?

*1:← それほど 難しい 英文では ないはず