miscellanies

[S.I. Hayakawa]

社会意識の 諸形態の 成立 ならびに 構造の 分析としての いわゆる イデオロギー論は、もちろん 重要だろう。

しかしながら それとは 別に、いや むしろ それに つなげて 社会心理の 階級的な 分析の 重要さも みおとされては ならない。

- 古在由重

1970年代 初め、言語学者 S.I. ハヤカワは 「黒人であること」 という 論文を 発表した。
彼は、一般意味論を 構成する 1つの 重要な ファクターである 「自己実現的予言」 を 用いて、U.S.A. においては 「黒人であること」 という 自己概念を 捨て去ることこそが African American が 社会に 適応する -- 唯一とは いえないとしても -- 有効な 手段に なりうると する。

自然な 態度を とること、したがって 黒人であっても 正常になる 方法の 秘訣は、黒人であることを できる限り 忘れることである。

今日の 社会と 社会情勢に あって 必要なことは、思い出さざるを えない 時だけ 思い出し、そのほかの 時には 忘れることである。

なぜなら、

時代は (確実に "差別が ない" 社会へと) 変化していること、しかも その変化は われわれの 大半の ものの 理解を 越えた 速さであることを 強調しておきたい。

幸福の 基本を 「最小限の 期待」 に 置く、この 一般意味論より 引き出された ハヤカワの 黒人への アドバイスは 正しいものだろうか?

われわれの 具体的な 社会的意識は むしろ 両者 ("支配層の イデオロギー" と "社会心理 あるいは 階級心理") の いりまじった 統一、浸透、矛盾であり、ある条件の もとでは 両者の 区別は きわめて 相対的な 性質しか もたない。

つまり、この ばあいの 意識の 構造は けっして 単純でも なければ 透明でも なく、じつは 二つの ものの 接着であり 錯綜である。

- 古在由重

ハヤカワの 論文では、U.S.A. における 少数民族である 黒人社会への 「個々人の 意識下に 働きかける」 アドバイスという 形を とっているが、それは また、資本主義社会での 「私有財産という 障壁によって たがいに 隔離され 孤立化された」「非政治的な」 自由へと 人々を 導き入れる -- ヨーロッパ近代社会成立後、一定の 役割を 果たした -- 多くの 試みの 1つだ、ということが できる。
しかし、現代に おいては それは その 孤立性ゆえに 容易に 「政治的な」、しかも 反動的な、ものへと 変換させられる。
このことは、U.S.A. の 政治中枢に 位置する 黒人たちに 顕著である。 彼らは、外交政策に おける アジア社会への 蔑視 -- それは U.S.A. 資本に 巣食う 宿痾であるが -- に 対して、一片の 疑問も いだくことが できずにいる。
ハヤカワは また、自らの アドバイスを 受けいれやすく するため、黒人に 対し U.S.A. における 他の 少数民族に 目を 向けるよう 推める。
いいでしょう ...
では、数学者 弥永健一の 妻である 弥永光代、彼女は American Indian であり そして オリンピックの 金メダリストだが、その 彼女が U.S.A. の 栄光の シンボルである オリンピック・メダルを、文字どおり、大地へと 投げ捨てたのは、いったい なぜなのか?
AIM (The American Indian Movement) による 土地占拠が 行なわれたのは 論文発表と 同時期、1973年では なかったのか?
その際、裁判に かけられ 刑務所に 収監されている 人間が いまだ 自由の身と ならぬ 時に、U.S.A. の 教科書から 少数民族としての American Indian の 記述を 消す旨 画策し、今や それを 実現させたのは、いったい 何故なのか?
U.S.A. から 国外へと 視野を ひろげると、ペルーの 元大統領 フジモリ -- その 強権政治により 亡命を 余儀なくされ、長期間に わたって 日本政府に "二重国籍者" として かくまわれた -- 彼は ペルーでは 少数民族 出身では ないのか?
ハヤカワは 自ら 「日本人独特の 問題意識」 は すでに もっていないと 告白しているが、フジモリ自身 そうであり、しかも 資本の 要請には -- 無批判に -- 従順であることで、ついには ペルー国民と 敵対するまでに 至ったのでは ないのか?
少数民族の 願望を 「最小限の 期待」 へと 閉じ込めることは、本来の 政治的な 関心を 遮断することで 成立する 「自由」であり、それは -- 今までも、そして これからも -- 最悪の 結果しか もたらさないだろう。
(追記) 一部 訂正。