miscellanies

真下信一は、1931年以降の 日本の 「国民一般の 思想的態度」 を、その ファシズムと 戦争に 対する 「イデオロギー諸形態」 により、「ラディカルで 信念的な 積極的支持、推進」、「『合理的』 理由づけによる 支持と 弁護」、「無関心的態度」 および 「批判的立場」 の 4つに 分類する。
最後の 1つを 除けば、全て 「非理性的なもの」 としての 見地を もつ。 それゆえ、彼らの 戦争責任に 対する 単なる 「道義的」 非難は - 原理的には - 十全な 有効性を もち得ない。
(1) 国粋的 ファナティシズム
その 1つの 例証として、真下信一が 挙げるのが、自らが 治安維持法違反により 取り調べを 受けた際の、特高刑事による 次の 言葉だ。
「真理も へったくれも あるもんか!」
真下信一は、別の著書で、それを 「ケダモノの ことば」 と 呼んでいる。 「つまり、彼には、人間らしいところが もはや ないと 考えられるからである」(スピノザ『エティカ』定理50 備考)。
(2) 「合理的」 弁護論
「むしろ 原則的なものは 非理性的なもので あることを 特徴とする」 その典型として、例えば、和辻哲郎を 挙げることができる。
また、和辻哲郎は 「ことに 若い知識層、学生の あいだに、部分的ではあるが なお、有力であった ファシズムと 戦争に たいする 批判的立場、その真の 合理主義に 向かっては、積極的に 攻勢」 を 加える 1人でもあった (このことは 別に 書くつもりだが)。
哲学者の 出隆の 自伝から 引用しよう。

或る日のこと ... なんかの用事で 僕が お隣りの 倫理学研究室に 顔を のぞけると、和辻君は 机の上に 部厚な刷物を ひろげていた。 それは 文部省から 和辻委員に 送られた 丸秘文書 『国体の本義(案)』 であった。

和辻君は、こんな べらぼうなものを 読まされて、と 吐き出すように 言い、うんざりしたような 顔をして、その刷物のことを 僕に 話した。

そのときの話は よく 覚えていないが、なんでも 和辻君が 言うには、これでも 僕らが 編集会議で あれこれ 文句を 言ったので、多少は ましなものに なったのだが、神懸りの連中が 頑張るので、どうにもこうにも 木に竹を ついだようなものだ、との 話であった。

... その話のなかで とくに 気にかかって、この話とともに 覚えているのは、その 「多少は ましなものに なった」 と 言った 口ぶりである。

... あのとき、あたかも 自分が あの 「教育刷新委員会」 の 委員の 1人であることを 是認する (あるいは 多少でも 意義ありとする) かのように、自らの 意見で 『国体の本義』 が 多少でも ましなものに なったかのように 言った、その 口ぶりが 忘れられない。

出隆自伝(続)

和辻哲郎が 『風土』 の 著者であることは 知られていても、『国体の本義』 の 編纂委員の 1人であったことは、あまり 知られてはいない。 悪名高い 「近代の超克」 を 唱和した 研究者たちと 比べても、より 権力 (文部省) に 近かったのだが。(「教育刷新評議会」 の メンバーには、他に 筧克彦、紀平正美、高楠順次郎、郷浅之助、小西重正、西田幾太郎、田辺元らが いた)
しかし、たとえ このことで 和辻哲郎を 「非難」 したところで、和辻哲郎が 「非理性」 の 立場に あるかぎり、その有効性は やはり 少ないと 考えられる。
(3) の 無関心的態度については 論外だろう。 彼らは 倫理を 「超越」 することで 存在を 許されているのだから。
それでは、「理性」 以外の なにものかを 求めるべきなのか?