miscellanies

12月 16日の [ねこぱんだ雑記] で 『古在由重著作集』 の 紹介が されていたが、少し 異論が あり コメントしてみた。
ねこぱんださんの コメントを 読むと、ぼくの、古在由重は その晩年に 至るまで 唯物論からの 「変節」 は なかったという 意見に 対して、ねこぱんださんは、晩年 - 1984年以降 - 「相手を 見間違えるという 混迷を してしまった」という 考えで あることだ。
ぼくも それほど 系統だてて 古在由重の 本を 読んでいるわけでは ないが、その 亡くなる 前後に 勁草書房から 出版された 本 - 今、手元に ありませんが - を 読んだときには、古在由重は 唯物論から 逸脱しているとは 読み取れなかった。
思い当たることは、その死後 「赤旗」 紙上で 公表され、一般に 認知された 件だ。
すなわち、84年 6月末に、1955年の 創立以来、原水協事務局に あって その大衆運動を 押し推めてきた 吉田嘉清が、原水協から 追放された 際の 古在由重の 行動である。 かれは その時、

私が 原水協で 第一に 信頼を 置いている 吉田嘉清を 解任する 意向であれば、今後 原水協には 協力できない

と 語ったと いわれている。
その後、原水協を はじめとする 大衆運動との 関係を 断ったとしても、古在由重が このことで 「弁明」 したり、まして 特定の 大衆団体を 「悪しざまに」 非難したとは、聞かない (吉田嘉清の 解任の 際も、公的な 場での 発言を 控えていたはずだ)。
古在由重が 自ら、大衆運動から 離脱することを 選び、ある意味、孤立への 道に 進んだことが、日本の 社会運動 全体を 視野に 入れれば 「損失」 であったと いえても、「相手を 見間違えるという 混迷」に 陥ったとまでは 思えないのだが ...
(ぼく自身、全くの 部外者であり、事実関係の 誤認や 重要な 資料に 目を 通していない等、指摘が あれば 是非 教えて欲しい)