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Horowitz との 討論 (コメント)

Re: Dot connections (#87183)
by Lisa Kazmier

何が 「あなたと バランスを とる」 ことに なるのか? 「アウシュビッツの 生存」 での 討議で、それが Primo Levi が 作り上げた 話だと、あるいは ホロコーストは 正しい 考えだと いって、その時間の 半分を 費すことだと、私が 思うとでも? 私は、誰かが ここで 主張する 「バランス」 という 考え方から、学者に 対し、彼らが 読むことや 観察することから 結論を 引き出すのを 許さなくすることで、彼ら自身が その責任において 議論するという そうした 能力を 妨害する、という 感じを 受ける。 もし あなたが 「U.S.A. は 地上で 一番 偉大な 国家だ」 とでも いうような ことへの 応援を、われわれに 強要することが できないとしたら、なぐさめたり ナショナリズムの 学説を 検討させるより、むしろ 日付や 人名や 場所など 置き去りにして、われわれに 頭を 使わなくさせようと するだろう。 マッピラですね。 でなければ、こうした 学生たちに、フィンガーペイントや クレヨンの 使い方を 教えるほうが ましだ。

あなたの 父親 [であれば]、もし 誰かが 「文化的マルクス主義者」 という 社会的地位に あるなら、その者には 彼の 教育する 能力は 欠けている、と 断言するだろうと 思う。 私が 学生だった頃の 最高の 経験の 1つは、思いがけない 事情から、1ヵ月間 マルクス主義者である 英国人女性の 教授が 1つの クラスを 教えた時のこと、次にHarvard 出身の 本物の 保守主義者の 男性と 交替した時のことだ。 彼らに [共通する] 関心と スタイルとは 揃って、その教育に 「あった」 のであり、私たちが 読む 詩や 小説を つくることでは なかったのだ。 実際 [私たちの] 知能は 発育したし。