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Horowitz との 討論 (続き)

Stanford が Hoover Institution という 保守主義 発祥の地であることは、この際 気にしない。 現実には、その 2つの うちの 1つは、実際に 今すでに 右翼の 側へと 移行していて、そこでの 数人の 先輩である 私の 同僚からは、右翼の ひっきりない 攻撃、あるいは U.S. 政府の 監視を 伴った 恐喝の 下で、彼らが その働く場を 移すことを 要望するのも そう 遠くはない、と 伝えてきている。 しかし、たとえ この 2つの、また 数ダース以上の 学園で、進歩的学部の 数が 不均衡だと 認めたとして、その 数少ない ケースから、U.S.A. における 第2次大戦後の 教育システム全体を 一般化することが できるだろうか? では、危険な 保守主義化した 学園は どこも 存在しないのか? Liberty Baptist University あるいは Bob Jones University は どうなのか? または Army War College では?

現に 証言として、紙に 印刷する 価値がない Horowitz の 本の、その題に 含まれる "dangerous" という 言葉には、気が すすまなかったし 拒否できなかった、という 彼の 言い訳が ある。 その放送中に、司会の Angic Coiro は、印刷された 題が 彼の 断り無しに、実際には 方針として 出版社の 思いつきから つくられた、と 彼が なぜ 話すのか 質問をした。 (この種の 状況では、常に 出版社や エージェントが 便利な 身代りに させられる) 彼は セキバライを 始め、うなっていたが、彼の 口からは はっきりとした 言葉は 得られなかった。 最終的に、彼は 実際 何が 危険なのかを 説明することは できた。 それは、私のような 教授が、実際には 教授という 仮面を かぶった 政治的活動家であると いうことだ。 われわれは、両親が 苦労して 稼いできた 金を、国を とびこえて、大学在学中に 学生たちに 教え込むために 用いて、彼らを 本物の 反 U.S.A. 的 性格を もつ イデオロギーの 前に 曝すことで [国家の] 安全に 対する 脅威と なっている。

当然だが、Horowitz は、少なくとも 私の場合、その主張を 補強することは できない。 (そして このことから、その他 多くについても、この本の 大部分が、たとえば 他の 標的であった Juan Cole が 証明したように、実際 マチガイであると 仮定することが できる) 自身 白状したように、私の いくつかの 学術論文については、何 1つ 書かなかったとしても、さて 彼は どうしようと いうのか? それより むしろ、彼によって 「公職にある 知識人」 と 呼ばれる 存在への 彼の 考え方によれば、私は アカデミーに その居場所が ないことに なる。 なぜなら 彼は、私の 経歴を 引用し、公職にある 知識人とは、「技術と 学問と 活動家との 混合物」 だと 主張しているからだ。

彼の 思いつきに 変わるものとして、私は 「討論番組に 招かれ」 た。 これは いいことだと 思うが、しかし Horowitz は、学者であることと 活動する 市民だと いうことの 間の その関連の 要点については、またもや、すっかり 見落としている。 そして、「左翼」 の 教授と 想像された 大多数における こうした 役割の 相互作用が いかなるものか についての 彼の 混乱に 対し、この本に 関して 語ることは 多数ある。