玉蘭斎貞秀

暮しの手帖 68年10月号に 横浜絵が 特集されている。
この雑誌、女性誌なのに なぜか 浮世絵が好きで 歌麿の 女職蠶手業草を 数ページにわたって 復刻したこともあった。
そして 横浜絵の中に ぼくの好きな 西洋人物運送之図が 載っている。黒船を描いた 木版画だ。

ふつう 横浜絵は 大判3枚つづきが多いが、これは 5枚つづき、今の言葉でいえば ワイド版である。
ここでは、できるだけ原図の大きさに 近づけるために、以下 4ページにわたって 復刻した

作者は 貞秀、版元は 江戸馬喰町二丁目の 山口屋藤兵衛、文久元年(1861年)の 開版である

この図で おどろくことは、抜き差しならぬほど 密に構成された 構図である。この横に やたら長い画面が、すこしのゆるみもなく ぴいんと張っている

この筆者は 特に 藍の使い方を 絶賛しているが、それも含めて 浮世絵特有の のっぺりとした感じがない点が いい。
浮世絵画家には 一般に 伝不明の 人物が多いが、貞秀については 知られてるほうでしょう。
文化四年に生まれ、明治六年頃 没。初代国貞の門人で 活躍したのは 天保から 明治初期、多作である。

彼の 最も特色のある作品は 一覧図と 横浜絵と俗称される 江戸板紅毛絵や 開化図である。
横浜開港当時に 鶴見の丘より写した 鳥瞰図は タタミ一畳ぐらいの大きさで、しかも 精細 驚くべきものである。
(吉田暎ニ「浮世絵辞典」)

これは 同じ 神奈川県立歴史博物館にある 御開港横浜大絵図のことですね。
これだけだと、貞秀は 単に ハイカラ好みの、また パノラマ地図を 描くことに 長けた 浮世絵師と 思われるかもしれない。(事実、そんな場合には 橋本玉蘭斎の名で とりあげられることが 多い)


羽原又吉さんという 学者がいた。「水産学の 専門家として 四十年間にわたって 日本中の漁村を かたっぱしから 調査した (安田徳太郎)」 人物です。
その羽原さんの本 「日本近代漁業経済史」 には、付録として 筆で描かれた 多くの図面が 載っている。
そこには 船小屋、物見台、釣船などの 建造物から 漁網、碇、漁に使う諸道具や 釣の仕掛けまでが 細かく 説明されている。
そして この夥しい図面を描いた人こそ 貞秀本人なのです。
ヨーロッパからの 本格的な 絵画技術が 導入される以前の 画家ですが、こういった面から もっと 注目されてもいいのでは、と 考えています。