miscellanies

[人は なぜ 御用学者に なるのか]
最近、本を 読んでても、"御用学者" という 言葉に すぐ 反応してしまう ... oLr

触れるのを 許されない、批判どころでは ないと いうことに なると、人々は 触れる 必要の あったことを 敢えて 忘れるよう、われと わが身を 仕向けてゆくものである。

(そして) タブーを いちいち 思い知らされずに すむ 領域に 逃げこむ。

"君子保身"、当人が 差し当たり 隠者の つもりで いる 分には 傍にも 迷惑は かけぬものだが、警察政治の 下、臣子の 分に 安んずる、また 楽しからずや、と われと わが身に いい聞かせ、同胞にまで これを 強いるようになる。

けだし、「奴隷は 自分が 奴隷であるのを 忘れたとき、もっとも 奴隷的である (ここでも、奴隷という ことばが 耳ざわりなら、家来とでも 子分とでも、御用学者とでも、適当に 読み直して下さって 結構である)」 という、名言のある 所以である。

飯塚浩二 (1952)