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[素粒子論と 坂田昌一]
昨年は 物理学者 坂田昌一の 没後 40年を 記念し 論集、伝記 そして いくらかの 論考が だされた。
ぼくとしては、これらの 文献に 坂田昌一の、現代の 世界に 対し 物理学者として 積極的に コミットした、そうした 側面が すっぽりと 抜け落ちていることが 気がかりだ。
1964年の 北京科学シンポジウム報告も その一つだが、例えば 68年に 発表された 「核のなかの人間」 (牧二郎、小沼通二との 共著) などは、福島第一原子力発電所の 大事故が 起こった 今、読み返されても いいのだが ...
三段階論に 関しては、坂田昌一自身、その考えを 述べたものがあり、まず これから 読んでもらえればと 思う。

武谷 三段階論によりますと、自然の認識は、現象論--実体論--本質論の 三段階を へて 行なわれると いうのであります。

現象論というのは、現象を ありのままに とらえる 段階、実体論というのは 対象が いかなる 構造に あるかを 明らかにする 段階、本質論というのは 対象の 運動法則を つかむ 段階であります。

実証主義者は しばしば、第二の段階の 重要性を 忘れがちですが、武谷君は 当時の 原子核物理学の 状況を、まさに 第二段階の 分析を 行ないつつ 第三段階への 路を さぐろうとしているところだと 規定したのでした。

中性子の発見や 中間子の導入の 重要性は、このことを 示すものと いえます。

(坂田昌一、1969年)

私どもの 素粒子論の 研究における 仲間であり、わが国における 最も すぐれた 科学史の 研究者である 武谷三男氏は 「ニュートン力学の 形成について」 (1942年) その他において 次のような 見解が 正当であることを 明示された。

即ち われらの 自然認識は ヘーゲルの 概念論における 判断の 三段階に 相応した 環を くりかえして 螺旋的にすすむ 弁証法的過程であるという 見地である (エンゲルス 『自然弁証法』)。

氏は これらを 現象論的段階、実体論的段階、本質論的段階と よんでおられるが、第一の 現象論的段階とは 個別的事実が 記述される an sich な 段階を いうので、ニュートン力学では チコ・ブラーエの 業績が 演じた 役割によって 示されるような 段階に 相当している。

第二は 現象が 起こるべき 実体的な 構造を 知り、この構造の 知識によって 現象の 記述が 整理されて 法則性を得る 段階で、ここでは 法則は 実体の属性としての 意味をもつ。 これは 特殊な構造は 特殊な条件で 特殊な現象を もつことを 述べる für sich な 段階で、ケプラーの 段階である。

最後に 本質論的段階とは 任意の構造をもつ 実体が 任意の条件のもとに いかなる 現象を起こすかを 明らかにする an und für sich の 段階を いい、ニュートンの 段階に 相当する。

武谷氏は この見方を 中間子理論の 現状に 適用し、現段階は 実体論から 本質論への 移行にあたって まず 実体論的な 整理を 行ないながら 本質論へ 高まる 路を 探している 状態であると 整理された。

(坂田昌一、1946年)

次に 紹介するのは 1970年「素粒子論研究」の 放談室という 小さなスペースに 載った 物理学者 牧二郎さんの 論考です。 牧さんには この他にも 三段階論に 触れた 多くの 論考が あります。
[牧二郎] "三段階論と 素粒子論物理学 (1)" (1970)
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=ja&type=pdf&id=ART0008527710 (pdf file)