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[APAST] "設立記念イベント"
渡辺敦雄さんによる APAST の 趣旨説明の ところを 文字に 起こしてみました ...

事務局長の 渡辺敦雄です。 よろしく お願いします。

お手元に 資料が ございますけれども -- カラーで 印刷されたものです -- 説明を 進めていきたいと 思います。

まず 「APAST とは ?」 と いうことですけども、設立趣旨は 今、後藤さんが お話しましたように 「現代科学の 事故の 本質の 認識」 と いうことを ちょっと 話を していきたいと 思います。

それから、われわれの 共有の 問題意識として 「はたして 情報が 正しく 市民に 伝わってなかったんじゃないか ?」 と いうこと、正しい 情報が どういうふうに なったか、と いうことですね。

それから、われわれが APAST として どのような 「モデル」 を 考えて みなさんに 支援して いただこうかと いうこと、みなさんと いっしょに やっていこうと いうことの APAST の 目指す 社会システムと いうことを 説明したいと 思います。 ...

まず 現代科学技術の 問題ですが、「事故の 本質と 認識」 と いうことですね。 私たちは まず、こういう 認識を もたないと いけないと 思います。 現代科学認識に 関しては 「人間は あやまちを 犯す ものだ」 と いうこと、必ず 犯す。 それから 「自然災害は 必ず 来るんだ」 と いうことですね。 三番目に 「組織と いうものは 必ず 効率を 重んじてる」 ですね。 よく 安全第一という 言葉が ありますが、私は 学生に いつも 言ってるのは 「安全第一が あると いうことは (では) 第二、第三は 何なのか ?」 という 話を しています。 ところで 第二が 品質であり、第三が 生産、つまり 効率であると いうことに なるわけですけども、実は 効率第一なんですね、今の 世の中は。 こういうふうに なってるという 認識が あります。 それから 「機械は 必ず 故障する」。 これも あたりまえの ことで、必ず 故障します。 そういったことを 現代の 「事故の 本質の 認識」 と いうことで とらえています。

それから 「伝えられなかった 正しい 情報」 と いうことですが -- お手元の 資料に ちょっと 書いてますが -- 今回、国の 行政 それから 企業、学者、報道と いうものが けっこう 一体と なって 情報を 提供しようと したのですが、これが 本当に、情報の 提供が 一方的で あったように 私は 思うんです。 ワンサイデッド、一方的であると。 いわゆる バイラテラルという 言葉が ある、双方向性という 意味ですけど、この 双方向性の、あるいは 共有するという 意識が あまり なかった。 いまだに そうだと 思います。 それから、当然の ことですけど 「ただちに 影響は ない」 というような 言葉に 象徴されるように -- これは 20年後には わかりませんよと 言ってる わけなんだけど -- 若干、普通の 市民にとって バイアスが かかる、つまり 少し 誤解を 与える 要素を もってる、と いうような ことが 考えられます。 それから 情報も 遅い。 飯舘村の 人たちが よく 言うんですけど 「今ごろに なって ここが (汚染が) 濃いと 言われても 困るよ」 と いうような 話が よく あります。 そういうことは インターネット等、市民の レベルでは けっこう 早めから 情報が 発信されてた はずなんですが、残念ながら そういうふうに なっておりません。

そういう 状況の もとに、われわれ 「APAST モデル」 としては、今までのような 状況では なくて、皆が 手を つなぐ、つまり -- ウェブという 言葉が あります。 ウェブというのは クモの巣と いうことですけど -- クモの巣のように どこを 切っても 必ず どこかと つながってる、こういうのが 本当の 連携だと 思うんです。 やはり 市民を 真ん中に して 皆が 手を つなぎあう、議会、地域、国際社会、行政、産業界、学者 (が)。 そして こういうものを われわれは イメージする、そこに APAST の 役割が あるんじゃないかと いうふうに 考えてます。 当然、報道も 私たちは 本来 こういうふうな 立場で -- 報道は 情報を 共有する 立場に いますので。 そういう かたちで われわれ APAST としての 「社会モデル」 -- クラウドとか 柔らかい 連携とか いう 言葉が ありますが、ちょっと むずかしいですけど -- こういった かたちで、最後に 「市民の 決定システム」 が ここに あるんではないかと いうふうに 考えています。

私たちは ものを 考えるときに 常に 「全体から」 つまり 作るものが 地球に どんな 影響を 与えているかという 観点で ものを 考えていきたいと 思います。 次に 「地域から」、地域にとって どのように 有効か -- 地産地消という 言葉が ありますけども -- それが 地域に 有効であろうかと いうことです。 それから、これが もっとも 大事だと 思うんですが 「50年後の 世界に 立ってみて」。 つまり、 逆に いうと 50年後に 大人に なる -- 例えば、私は この 3月に 孫が 生まれましたけど -- その子たちが 50年後に 「おじいちゃんたち 何やってたの ?」 と いうふうに、どう 思うかと いうこと、それを 常に 自分の クライテリア、基準として 考えていかなければ いけないと 思ってます。

「適正な エネルギー社会」 と いうことを 標榜(ひょうぼう)しています、APAST は。 「安心であり、長く 使用でき、地産地消であり、持続可能であって 地球環境汚染や 廃棄後の 行方が 明確であること」。 そして 最後に 「コストパフォーマンス」、やはり 安くないと いけません。 そういう 意味で、こういった 「命を 脅かすことの ない 安心社会」 を 形成する、ここに 掲げた 6つの -- 6つ以上 あるかも しれませんけど -- 6つの 基準で 「適正な エネルギー社会」 を われわれは 構築していく 義務が あると 思います、市民として。