miscellanies

[Mykolaiovych Shevchenko]
ノートを 整理してたら、古い 雑誌から 書き写した シェフチェンコの 詩を 見つけた。 散逸してしまうのも もったいないので 写してみます。

あるひとに  シェフチェンコ  田沢八郎訳

あのとき わたしは 十三であった
牧場で 羊の 番を していた
太陽は すばらしく かがやいていた
そのせいか わけもなく
わたしは ただ たのしかった
まるで あの 天国のようだった ...

ひるの かいばも すんだので
ブリヤン草の しずかな 草むらで
わたしは 神に おいのりした

おそらく この世で あのときのほか
あんな あまい うっとりとする いのり
あんな 心からの いのりは なかった

家畜のむれ それから 村
大空さえも たのしそうに
太陽さえも ほどよく あたたかに
その光を かげんしているようだった

そうして しばらく 太陽は
やさしく 大空に かがやいていた
が のぼるにつれて 真紅に もえ
やけつくように てりつけた

ふと われにかえって 見まわすと
大地は 色あせ ぼけてみえた
あの あかるかった 紺ぺきの空
それさえ くろずんでいた

と 羊を ふりかえってみた ---
だが それは 他人の 羊だった
家を ふりかえってみた
だが わたしの 小屋は なかった
なんにも 神は わたしに 与えてくれなかった!
急に 悲しく みじめな 気持ち になって
わたしは 泣いた ...

ひとりの 娘が
まぢかの 道ばたで
雄馬を ひいていたが
わたしの 泣き声を 耳にして
やって来て なぐさめ
小僧の わたしの 涙を ふいて
そして くちずけを してくれた ...

ちがう 光が さっと かがやき
ふたたび 空と 曠野と 遠景が
わたしのものと なった
--- 世界は わたしのものだった
そこで わたしたちは はしゃぎ 笑いながら
他人の 羊を 水飼場に 追った

なんと すばらしかったろう! 思い出すと --- 今日も
甘い うれいが むねを みたす
このような 天国で 神の めぐみで
どうして やすらかな 一生を
--- 送ることが 出来なかったろう

ふるさとの 畑を たがやしてさえいたら
わたしは もの思いも 苦しみも 知らなかったろう
この世の たわけものと はやされは しなかっただろう
また 人をも 神をも わたしは 呪わなかっただろうに

   オルスカヤ要塞 一八四七年

詩は 時に 先駆けて 現われ、だが 時が 来れば 捨て去られる。 詩の そんなとこが さっぱりしてて 好きですね。
シチェドリンの 詩ですか? さあ、どうでしょうか。