web archive

[Kaveh Shahrooz] "Iran's Insignificant Election"
http://www.themarknews.com/articles/240-irans-insignificant-election
訳してみます、

Mahmoud Ahmadinejad の いまいましい 反ユダヤ演説と 4年間の 彼の 対決姿勢とを たえ忍んだ後、国際社会は 6月 12日の イラン大統領選挙を しっかり 監視することに なるだろう。 希望は、思いあがった 現職が 再び 任期を 得ることなく、新しい 大統領が 大虐殺の 否認と 地図上から 国々を 消し去るという レトリックとを 取り消し、かわりに さまざまな 地政学的 問題における 約束を 世界に することだろう。

新しい イラン政府が 国際社会の 不安な 嘆願に 答えることは あり得る。 しかし また この 選挙は 民主主義と 人権への イラン人民の 祈りに答えるだろうか? 残念だが 答えは ノーだ。

この 悲観論を 理解するには、最初に ほんの 少し イランの 政治機構について 知ることが 重要だ。 憲法の 意図により、イランは 2つの 並行する 政府を もつ -- 1つは 選挙により 選ばれ、他は 聖職者であり 奇妙なものだ。 後者の 部門、現在 Ayatolla Khamenei が 率いる、が イランでは 実際の 権力を にぎっている。 聖職者層が 軍隊、厳格な 監視化にある メディア そして 財政の 多くの 部分を 支配している。 大統領は 変更できる、だが この 重要な 権力が 選挙に よらない 聖職者に 帰属しているかぎり イラン人に 実質的な 民主主義への 転換は ない。

しかし 民主主義の 欠如は 聖職者の 部門だけに 限らない。 腐敗は 非常に 深くまで 拡がっている。 さらに その 地位を 求め 立候補した 候補者たちは 最初に 権力を もつ 選挙に よらない (憲法) 監視評議会に 承認を 受けなければ ならない。 この 12名からなる 一団は 地位のため 立候補するのに 候補者が 適切な 資格が あるか 否かを 決定することが できる。 正確に 知ることは 困難だが、その 主要な 資格とは イラン神政に 対する 徹底した 忠誠である。

今年 400名 近くの 個人が 大統領 (選) のため 立候補に 登録した。 監視評議会は 十分な 資格を もつものは そのうちの わずか 4人だと 考えた。宗教的な 少数者や 女性の 誰が 立候補できると いうのか? 1つの チャンスも ない。今まで 監視評議会は イラン議会の 前者の メンバーを (すべて) 失格させた。

そして これらの 4人のうち 誰が 道を 切り開くのか? 彼らのなかの 誰が 人権と 民主主義の 擁護者と なるのか?

西側の 報道は 好んで この 戦いを 「保守主義者」 と 「改革主義者」 との 間の それだと 分類する。 しかし、実際は、彼らの 間の わずかな 不一致に かかわらず、4人 全員が イラン イスラム政府に 完全な 忠誠を 誓っている。

Ahmadinejad は、当然、立候補するだろう。 彼が 残したものは 経済的 freefall、国際間での 孤立 そして 市民的自由の 壊滅だ。 また 立候補した Mohsen Rezaie は その 残忍さと 腐敗とで 知られた 軍隊、イラン革命防衛軍の 以前の 指導者だ。 Rezaie は 1994年、アルゼンチンの ユダヤ・センター 爆破における 彼の 任務に 対し 国際警察から お尋ね者に された 特異な 名声を もつ。

「改革主義者」 の 側には Mir Hossein Mousavi と Mehdi Karroubi とが いる。 Mousavi は 1980年から 89年まで イラン総理大臣を 勤めた。 彼の 功績は イラクとの 戦争の 数年間、イラン経済を 手ぎわよく 処理したことだ。 だが 総理大臣としての 彼の 任期は また イランでの 人権に 対する 暗黒の 時代と 同時期である。 1980年代を 通し、政敵の 投獄、拷問 および 処刑は 日常的であった。 そして 1988年、政府は すべての 政治犯に 対して 未曽有の 大虐殺を 実行した。 この 弾圧において Mousavi は それを 命令する 役回りを 果たしたかも しれないのだ。 しかし 公的に 彼は (それに 対する) なんらの 異義も 唱えたことは ない。

Karroubi に 関しては、彼は 前国会議長であり、久しく 急進的な 聖職者として 知られていたが、ここ 数年に 彼は 意見を 変更した。 彼は この 危機において 変革を 強く 求めようと 言明したが、神政の 反民主的 核心に 挑もうと することには 何の 示唆も 与えようと しない。

専門筋や オブザーバーは 現実的な 期待をもって この 選挙を 追うだろう。 その 結果が ひとたび 公表され、思いあがった 「改革主義者」の 1人が 勝利し、さらに 西側の 解説者が 変革の 先駆者として 勝者を 祝福するかもしれない。 しかし イランの 人権運動に 関心のある われわれのようなものは 以前に こうした 報告を 聞いている。 われわれは 1997年と 2001年、Mohammad Khatami 大統領が どのように 祝福されたかを 同じように 覚えている。 さらに Khatami は 無能であるより ずっと 悪いことを 証明した。 彼は この 残忍さ または イランの 神政に 対し 注意を 向けなかった。 なぜなら、彼が たびたび 言明したように、彼は その 正統性を 信じたからだ。 そして 1999年、民主化に 賛成する 学生たちが 私兵組織によって 攻撃されたことへの 抗議を 支援し 自らの 意見を 述べる 時の 来たときに、Khatami は ただ 沈黙を 守った。

今年の 選挙の 勝利者、それが 誰で あろうとも、Khatami よりは わずかに ましなだけだろう。 にもかかわらず、祖国と 海外の 両方の イラン人の 一部は 6月 12日の 無意味な 選挙という 芝居に 参加するだろう。 (だが) 私は 彼らのなかには いないだろう。

疲れた ...