読書ノート

志賀直哉 『暗夜行路』
小説の 後編、主人公が 初めての子を 病いで 失った後、彼が かかわった 一人の 女性からの 来信を きっかけに、朝鮮へと 渡るところが ある (第四)。

平壌への 汽車の中で、彼は 高麗焼きの 窯跡を 回っている そのほうの 研究家と いっしょになり、いろいろ そういう話を 聞いた。 謙作とは ほとんど 同年輩の 人だったが、話しぶりにも 老成したところがあり、朝鮮統治などにも ひとかどの 意見を 持っていた。

志賀は、その 「ひとかどの 意見」 には 触れず、日本の 鉄道建設に 関わる 土地買収に 巻き込まれた 一朝鮮人の 不幸について、彼から 聞いた 話として 記している。
ここでの 高麗焼きが もし 当時の 日本での 呼び方だとすれば、それは 李朝を 指すので、その 研究家は 浅川伯教 (ノリヨシ あるいは ノリタカ)、浅川巧 兄弟の いずれかの 可能性も ある。
1920年代以後、知識層が 李朝への 関心を 深めつつあった頃、民間でも その 収集を こころざす者が 増えていった。
では、当時 朝鮮で そうした 陶磁器や 民具を 扱っていた 古物商 -- 当然、日本人が 多い -- は、どんな 連中だったのか?

そのころ (1930年前後) 京城には、天池、鈴木、佐々木、新保、大田尾、黒田、祐川などの 道具屋が たくさん あった。 そのほかにも 朝鮮人の 骨董屋が 実に 多く、それが、だいたい 屑屋と 兼業だった。

(日本人の 経営する) 道具屋の 店先に いると、ヨボ (労働者) が 風呂敷に 仏像や 銅像、やきものなどを 包んで もちこみ、店の主人と 交渉を はじめる。

やがて ヨボが 帰ると、たったいま ヨボから 仕入れた ただ同然の 安い品を、仕入値の 百倍以上で 売りつけられたものだ。

慣れるまでは、それが 実に 不愉快だったが、買わないと せっかくの品も、どこかへ 売られてしまうのは 明らかなので 買わざるを得ない。

腹に すえかねる 思いを したことも しばしばだった。

赤星五郎

ゴーリキーの 『人々の中で』 を 読んだ 人であれば、無口な 農民が 売りにきた イコン画を ただ同然で 取り上げる ギリシャ正教の 坊主を 描いた 一場面を ここで 連想するかもしれない。