読書ノート

[Rosa Luxemburg]
資本蓄積論

アルジエリアの 総督 ルイ・フィリップは、英領インドでの イギリス人たちと まったく 同様に、すべての (アラビア) 種族による 共有財産の 存続は 「不可能」 であると 宣言した。

こうした 虚構に もとずき、ことに ほとんどの 未耕地 -- 共有地、森林 および 放牧地 -- が 国有財産だと 宣言され、植民の 対象(地) として 使用されることに なった。 一種の 移住制度 -- いわゆる cantonnements -- が 創設され、そこでは フランス人が 種族が もつ 土地の 中央部に 植民し、種族 自らは (残余の) 最小地へと 押し込められねば ならなかった。

1830年1831年1840年、1844年、1845年 そして 1846年と (フランス政府の) 発令により、こうした アラビア種族が 所有する 土地への 強奪が 「法律」 によって 基礎づけられた。

だが、こうした (法による) 移住制度は、実際には まったく 植民を 現実化せず、放埓な (土地) 投機 および (重税に ともなう) 高利を 育て上げただけであった。

ほとんどの 場合、アラビア人たちは 彼らから 奪われた 土地を 買い戻す すべは 心得ていたとしても、当然 その際に、彼らは 借金という 泥沼へと おちいることと なった。 フランスによる 重課税も (こうした 進行を) 同様に 助長した。

特に、すべての 森林を 国有財産だと 宣言し、そのため なかば 放牧地であり なかば 潅木地の 240万ヘクタールを 原住民から 強奪した、1851年 6月 16日に 発布された 法律は、(彼らの) 牧畜から その 存在の 基礎を 奪ってしまった。

こうした すべての 法律、訓令 および (行政) 措置の スコールの 下、この 国の 所有関係には どうしようもない 混乱が 生じた。

(この項 続く)