読書ノート

[Rosa Luxemburg]
資本蓄積論

(資本の) 本源的蓄積において、すなわち 中世の 終わりから 19世紀中葉に いたるまでの、ヨーロッパにおける 資本主義の 最初の 歴史的 発端である、イギリス および (ヨーロッパ) 大陸での 農民追放 (バウエルンレーゲン) という 手段は、生産手段 および 労働力を 資本へと 転化する、最も 大がかりな もので あった。

だが、その 同じ 課題が -- 近代の 植民政策においては -- 資本の 支配のもと、(かつての 本源的蓄積とは) 桁違いの 規模で、今日まで 連続して、実行されている。

資本主義に 対し、つねに (合法的) 商取引により 購買される 生産手段のみで 満足するよう 望むことは、1つの 幻想でしか ない。

資本にとっての 困難は、(植民地という) 開発可能な 巨大な 地表 (を 占める) 地域では、そこでの 生産諸力が 商取引に なじまないか、あるいは 資本にとって 問題となる 最も 重要な 生産手段 そのものが 購買が できない -- すなわち、すべての 所有形態と 社会的構成とが 最初から それを 排斥している -- 社会構成体によって 占有されている、という 事実に ある。

(そのため) あらゆる 新たな 植民地拡大において、資本は 自ら、社会的 そして 経済的に、彼らの もつ 生産手段と 労働力との 暴力的 略奪を ともなった 戦いを、(植民地) 原住民に 対し しかける。

資本は、その 創世記においてだけで なく、今日に 至るまで、資本蓄積の 恒常的方法としての 暴力 以外、どのような 問題解決 (の 方法) も 知らない。

暴力的方法は、この 場合、資本主義と その 蓄積を 拒む 自然経済的構成体との、直接的な 衝突の 結果である。

資本主義は、その 剰余生産物に 対する 自然経済的構成体からの 需要なしには 成立しないのと 同様、後者による 生産手段と 労働力 (の 供給) が なくては たちいかない。

(こうして) 資本主義は、目的意識的に、自立した 社会組織である (自然経済の) 構成体を 破砕することに 努める。

(それが) 資本の 見地からすれば、最も 合目的的な 方法だからである。

自然経済に対する闘争

次は、アルジェリアにおける フランスの 植民政策。