読書ノート

[Rosa Luxemburg]
経済学入門

数年がかりで 人間が 1つの 斧を 石によって 作りあげ、数時間を かけ 2つの 木片を すり合わせて 火を おこしていた 時代、 わずか 1本の 弓を 作るのにも 数ヵ月を 要した 時代であれば、どれほど 狡猾で 残酷な 企業家であっても、1人の 人間から 剰余労働を しぼりとることは できないだろう。

いい変えれば、人間の 力が 単に 自分自身の 生活資料だけでなく、それを 越える、すなわち 他の 人間のための 生活資料をも 生産することが できるためには、道具、(技能の) 熟練 そして 知識という、自然の 力に 対する 人間の 支配が、おそらく、すでに 十分な 高さへと 達してなければ ならない。

最初の 不格好な 石器や 火の 発見から、今日の 蒸気機関や 電気機関までの 距離は、人類の 社会的発展の、人間社会の 社会的共同生活 および (社会的) 協力によってのみ 可能となる 発展の 全過程を 示している。

それゆえ、今日の 賃労働者による 労働力の、剰余労働の 実践という (社会にとって) 有益な 属性を 付与するところの 労働生産性は、自然から 与えられた 人間の 生理的特殊性によるものでは なく、社会的な 現象、(人類の) 長い 発展史の 成果なのである。

(したがって) 労働力という 商品における 剰余労働とは、単に 1人の 人間の 労働によって 多数の 人間の (生活の) 維持を 可能に するという、社会的労働の (高い) 生産性に 対する 別の 表現で あるにすぎない。

しかし、労働生産性は、必ずしも つねに、また どこにおいても、労働力の 売却 (商品化) と その 資本主義的 搾取を ひき起こすという わけでは ない。

幸運にも すでに 原始的文化段階において 自然的諸条件に 恵まれ、労働生産性が 可能と されていたところでは、特に そうである。

(この項 続く)