読書ノート

[Rosa Luxemburg]
経済学入門

たとえば (ギリシャの) 史書によって われわれに 伝えられている 簡単な 報告によれば、ドーリア人により 支配されていた クレタ島では、被征服者たちは 彼らの 耕地からの 収穫より その 家族のため 必要とする 生計費を 差し引いた 残り すべてを (ドーリア人の) 総共同体に 引き渡さなければ ならず、そこから 自由民 (すなわち 支配者である ドーリア人) が 共用する 食糧費が 調達され、あるいは また、やはり ドーリア人 共同体の 1つである スパルタでは 「国有奴隷」 としての ヘローテが 存在し、 これが 国家から (共同体) 個人に 彼らが 所有する 耕地の 耕作のため 委譲されていたと いうことだが、このような 諸関係は (ヨーロッパ古代史に われわれの 視野を 限定するなら) さしあたりは 1つの 謎である。

そして たとえば、ハイデルベルグの 教授 マックス・ウェーバーの ごとき ブルジョアジーの 学者は、こうした 注目に 値する 史伝を 説明するために、今日の (支配・被支配の) 諸関係 および 諸概念の 立場に たつ、奇妙 きわまりない 仮説を 打ち出している。

「被征服住民は ここ -- スパルタ -- では 国家が 所有する 奴隷 あるいは 隸農状態に あるものとして 取り扱われる。 彼らの 現物納付により 戦士たちの 生計が まかなわれるのだが、その 一部は、すぐ 次に 言及される 方法で 共同(体) 的に 行なわれ、一部は、奴隷によって 耕作される 一定の 土地の 収穫を (共同体に 属する) 個人を 指定し、その 土地は その者に さまざまな 程度で、後には 多くが 次第に 世襲的に、占有される、というように 行なわれた。 抽選による 土地割り当て、および その他の 方法での 分配は、(次の) 有史時代においても 実施は 可能と みなされ、また (事実) 行なわれたようだ。 それは、当然、耕地の 分割交換では なく [ブルジョアジーである 教授は どこであっても 「当然」 それ (私有財産制度の 否定) を 認めるわけには いかない -- ローザ・ルクセンブルグ]、いわば 地代の 財源としての 分割交換なのである」

「軍事的観点、特に 軍事人口対策が、個々の すべての 事柄を 決定する。 ... この 政策の 都市封建制な 性格は、(スパルタの) 1人の 自由民の 遺産となる 隸農の 付随する 土地が ゴルティンにおける かの 軍事特別法のもとに 置かれる、ということのうちに 特徴的な 形態をもって 現われている。 すなわち、これらの 土地は クラロスを 形成しており、この クラロスは (スパルタの) 防衛 (戦士の) 家族のために 拘束されているのである」

[教授風な ドイツ語から 普通の ドイツ語に 翻訳すれば、次のように なる。 (支配者である スパルタ人に) 割り当てられる 耕地は 共同体 全体の 所有であって、そのため 譲渡されては ならず、割り当てられた 土地の 所有者の 死後も 分配されては ならないのであり、このことは ウェーバー教授も 別の 箇所で 「財産分散 防止のため」 および 「軍人としての 身分に ふさわしい 割り当てられた 土地の 維持のため」 の 賢明な 方策として 説明している -- ローザ・ルクセンブルグ]

「こうした 組織の 完全なる 実践は (今日、プロイセンの) クラブ様式に のっとった 軍人の 共同昼食会である 『ジュシティエン』、および 国家により 行なわれる 少年士官学校の 共同教育において 頂点へと 達している」 (『古代における農業事情』)

こうして、(伝説に 現われた) 英雄時代の ギリシャ人たち、ヘクトールや アキレスの 時代の ギリシャ人たちは、御都合主義的に、プロイセンの (ブルジョアジーによる) (土地の) 信託遺贈や (彼らの) 年金政策、そして 「その 身分に ふさわしい」 シャンパン付きの 宴会を 含む (軍人どもの) 将校クラブ 等々の 概念に 変形 (合致) させられ、また、共同(体) 的 国民教育を 教授されていた スパルタの 純朴な 少年少女は、ベルリン郊外に ある グリース-リヒターフェルデの 刑務所を 思わせる 士官学校へと (強引に) 変形させられたのだ。

(この項 続く)