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[Ernest Che Guevara]
その 死から 40年 (続き)

「今や 党は われわれに 対し 武器を 取ることに 反対している。 そして 彼らが どれほど 遠ざかるだろうかは 私は 知らない。 だが このことは われわれを 引き留めないだろうし、おそらく 結局は われわれを 有利に 導くことと なるだろう (私は ほぼ このことを 確信する)。 闘う 人々は 大多数が 入念に 準備しており われわれと 共に あるだろう。 たとえ 彼らが かなり 深刻と なるかもしれない (党への 忠誠という) conscience の 危機を 経験しなければ ならないとしても」

「Moises Guevara は 今のところ よく 応じている。 彼と 彼の people とが どう 行動するか われわれは 将来 知るだろう」

「Tania は 出発した。 だが アルゼンチン人が 生きている ようすの ないことを 伝えた、そして 彼女も。 今や 実際に ゲリラの 局面が 開始され、われわれは (敵の) 軍隊を 試すことに なるだろう。 時が 彼らに 何が できるのか、そして ボリビア革命に 対する その 前途が 何なのかを 告げるだろう」

「われわれが 描いていた すべてのうちで もっとも 困難な 任務が ボリビアでの 戦闘に 加わる 新兵の 補充だった」 (Ernest Che Guevara "Borivian Diary" p.38)

Che Guevara (の ゲリラ戦に) 参加 あるいは 支援した 党内の メンバーたちは 党の 指導力に そむいて これを 実行した。 (しかし) Che の ボリビア日記は ボリビア共産党における この 問題が いかに 最初 予想していたより ゲリラを ひどく 小規模な 結果に 終わらせたかを 示している。 これが ゲリラが 成功する 望みに 致命的な 一撃を 加えた。

Regis Debray

ここで 全体のうち ある 貧弱な 役が Regis Debray によって 演じられた。 結果として この男は 彼と Che Guevara との 疑わしい 関係を 利用することによる 経歴を つくりあげた。 彼は ボリビアで 「Che とともに 闘い」 「Che の 同志」 だったと しばしば 語っている。 これは まったくの 偽りだ。 Debray は どんな 戦闘も けっして しなかったし 実際には ゲリラに 対する 深刻な 問題を 引き起こした。 Che は この プチブルジョア 知識人を しごく 当然に 軽蔑に 値すると 評価した。 彼の 日記は この 招かれざる 「観光客 同伴者」 に しばしば 言及し それらが なんの 足しにも ならないこと (の 記述を) 含んでいる。

Debray と アルゼンチンの 画家、Ciro Bustos は Che の キャンプに 革命の 観光客として 現われ 面倒 以外の なにも 起こさなかった。 彼らは 外の 世界との 接触 進展を 助けるはずだった。 結局、彼らは ゲリラたちの 犠牲の 上に 自らの 十分な publicity を 受け取った。 日記は Che が 最初から Debray を 疑っていたことを 示している。

「この フランス人は 彼が 外の 世界で いかに 役だつかを かなり 熱心に 誇張していた」 (Ernest Che Guevara "Borivian Diary" p.69)