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[Ernest Che Guevara]
その 死から 40年 (続き)

彼は ますます ソビエト連邦と その指導者たちに 批判的に なった。 これが 彼が なぜ 中ソ論争で 初め 中国に 加担したかという ことだ。 しかし Che を 毛主義者として 描くのは 彼を 誤解に 導くことに なる。 彼が フルシチョフの ロシアより 毛の 中国に いっそう 親しみを もったと 信じる 理由は ない。 彼が 中国に 加担した 理由は、キューバから ソビエト製 ミサイルを 撤去した モスクワの 決定 -- Che が 裏切りだと 見なした 行動 -- を 中国が 非難したからだ。

Che Guevara に 手ぎわの よい 分類を 与えるのは 不可能だ。 彼は つねに 真理を 追い求める 豊かな 知性を もった 人物だった。 スターリン主義の 教義は 彼の 思索の 方法と 絶対に 正反対の ものだ。 彼は 官僚主義の 卑屈さと 体制への 順応に 反感を おぼえ、どのような 種類の 特権も 忌み嫌った。 このことが 彼を ヨーロッパや ソビエトブロックの 「共産主義者」 高官の 嫌疑の 対象に した。 フランス共産党スターリン主義者たちは 彼に 特別に 敵意を もち さらには 彼を 「プチブルジョアジーの冒険家」 に 描いた 中傷的な キャンペーンを Che に 対し 加えた。

産業省大臣

Guevara は その後 産業省の 大臣として 働き、この持ち場で 彼は キューバ革命が 直面する 困難な 状況下での 社会主義者による 計画経済の 建設という 問題に 取り組んだ。 キューバの 古参トロツキー主義者で 私の 良い 友人である Leon Ferrer は (産業)省で Che とともに 働き、トロツキートロツキー主義に 関する 多くの 議論を 重ねた。 トロツキーの 本を 読むよう 渡され 彼は それに いくらか 興味を 示した。 だが 彼には 理解できない 一点が あった、「トロツキーは 官僚制度について 多くを 書いているが これは どういう 意味なのか」 (Leon は) でき得る限り 説明をし しばらくして Che は (彼に) いった、「そう、あなたの 意味するものが わかったように 思う」

その翌日、Che と Leon は 共に 農場で サトウキビの 伐採を 行なっていた。 この 骨の折れる 作業の 中頃、Leon は 大きく黒い車が ゆっくり 農場を 横切るのを 見つけた。 彼は Che のほうに ふり向き、「Comandante、あなたに 来客のようだ」 と いった。 Che は 驚いて 見上げ リムジンを 見ると 顔を 輝かせ 笑みを うかべて Leon に いった。「ここで 今すぐ 見られるぞ!」 車が 止まり スーツに ネクタイ姿で 汗を かいている 役人が 外へと 出て Che に 向かって 歩きはじめた。 Che は 彼を どなりつけた、「ここで 何を するつもりだ! 出ていけ! 官僚なんか ここでは 必要ないぞ!」 恥ずかしくなった 役人は 引返し 車に 向かっていった。 そして Che は Leon のほうに ふり向いて 「わかったかい!」 と 得意そうに 笑って いった。