読書ノート

シゲリストは、産業革命後の 社会における 労働者の 保護について、次のように 述べている。

今日 大部分の 西欧側の 国家では 人々は 工業化の 進んだ 社会に 住んでいる。

商品は 工場において 大量に 生産されるし、農業さえも ますます 工業的となり 機械化されている。

この発展を われわれが 好むか 否かは どちらでも よいことである。 われわれは それを 事実として 受けいれなければ ならない。(p81)

そして、

国民の 富は 第一に 工業労働者 および 農業労働者の 労働によって 生産されるものであり、(こうした) 社会が 最小限 なすべきことは、あらゆる 有効な 手段によって 労働者の 健康障害を 少なくすることである。(p81-82)

では、そのためには 何が 必要なのか?

(ドイツにおいて 最初に 施行された) 1883年における 疾病保険法は、負傷と 病気の 場合 13週間 (に わたって) 作業能力を 喪失した 賃金生活者に 対し 医療と 現金扶助料を 補償した。

1884年に 産業災害保険法は 強制保険の 方式を 確立し、その基金により 従業員は 職業性の 危険に 基づく あらゆる 障害に 対して 補償されるようになった。

最初 それは 工業と 鉱業にのみ 適用されたが、漸次 建築、輸送、農業にまで 拡げられた。

始めは (こうした) 労働者だけが 利益を 受けたが、1929年には 強制保険が 拡げられ、事務労働者をも 含むようになり、1925年以降 この方式は、災害ばかりでなく 職業病にも 補償を した。 (当然) 雇主のみが 保険金を 支払い、費用は じっさいには 生産費の 一部であった。 給付は 治療、リハビリテーション、一時的廃疾 あるいは 永続的廃疾の 補償のための 現金扶助料、それに 寡婦に 対する 年金を 含んでいた。(p148)

ドイツが 半世紀をかけて 築きあげた この 「新しい方式」 は、ただちに ヨーロッパ各地へと 拡がったが、工業化の より 進んだ 2つの国、すなわち 英国と U.S.A. においては その採用は 遅れ、しかも それらの 法律は 「重大な欠陥」 を もっていた。
戦後、英米法を 積極的に 取り入れた 日本では どうなのか、戦前の ドイツの 水準にも 達していないのでは ないだろうか?