読書ノート

シゲリストの 優生学に対する その信頼は - 当時に おいても - まちがった ものだった。 それは、「悪用される」 可能性が あるから だけではない。

いまなお、多く 議論されている 別の 法医学上の 問題は 優生学の 理由による 断種の 問題である。

昔なら 生存競争で 負けてしまったで あろうに、医学 及び 社会の 処置が 進み、種族に 悪影響を およぼす 数十万の 人が 命拾いを した。(p156)

遺伝に 関する 議論においては、ミクロにおける 先天的な 遺伝子の 欠損/奇形という 研究 ばかりでなく、数世代に わたる その 厳密な 観測を 欠かすことが できない。
それは 例えば、大腸菌等による 世代交替実験などでは 絶対に 代替できるものでは ない。
さらに 現代では、戦争も 含むところの 人為的な 事故によって、人の 将来に わたる 悪影響を およぼしかねない 因子が、地球環境規模で それも 短期間に 植えつけられる おそれが 既に 存在している。
通常であれば コンマ以下の 確率で 出現する そうした 因子が、その 蓋然性の 割合いを 爆発的に 伸ばしたとき、それが 劣性因子だと 判断して 優生学的に 処断 - たとえば 断種の 実行 - することは、原理的に 不可能である。
優生学は 科学では ない。 そこで 得られた 知識は、その 方法論的 偏向を 除かれ、広い 意味での 予防医学の なかへと 解消される ほか ないだろう。

医学の 目標は 病気を 治療すること だけではない。 むしろ 社会の 有用な 一員として その 環境に 人を 適合させて おくことであり、あるいは 病気に 襲われたとき 彼らを もう一度 それに 適合できるように することである。

この仕事は ただ 身体の 復旧によって 果たされるのでは なく、社会における その職、できれば 自分の 以前の 職、必要が あれば 新しい職を 当人が 再び 見出すまで 続けられなければ ならない。

医学が 根本的には 社会科学であるという 理由は これである。(p99)